連載エッセイ<天国よいとこ 14>
天国の北大路魯山人と私の父
★私は北大路魯山人という陶芸家が大好きだ。カレは京都に生まれ、若い頃は商店の看板を彫る職人であったが、料理への関心がだんだん深くなり北陸、新潟、秋田などの旧家へ出向き、居候してその土地の食材や調理方法を学んだ。自分なりに工夫した料理を御世話になった旧家のご主人にもてなして喜ばれ放浪の旅を続けるうちに、料理人としての腕を磨いた。
★当時、赤坂の日枝神社の近くに"星ケ岡茶寮"と言う料亭があり、近衛首相なども利用していたらしい。魯山人はそこの料理長に招かれて、腕をふるった。
★魯山人は、例えば予約客から"名月の夜にふさわしい最高の宴会を"と頼まれると料理はもちろん、その料理にふさわしい食器を探し思ったようなモノが見つからないと自宅の窯で焼いてきた。床の間の花瓶もその夜の花にふさわしいものを、自分で作って持ってきた。その夜の料理を運んでくる女中さんの前掛けも、その料理にふさわしいように生地を選んで作らせるほど"コリ性"だった(つまり自分の作った料理をいかに美味しく食べていただくか?カレはそれだけを考えていた)。
★カレのお陰で星ヶ丘茶寮は"東京一の料亭"と評判をとったが魯山人のあまりのワガママにオーナーと意見が対立して、ついに解雇されてしまった。晩年のカレは、北鎌倉に陶器の窯を作り陶芸一筋の人生を送った。食器は後の時代にも残るが、料理の味のすばらしさは、それを楽しんだお客さんがいなくなってしまうと評判も消えてしまう(それで現在魯山人は"料理人"としてではなく"陶芸家"として評価されている)。
★魯山人はいま陶芸家として高く評価されているが本人は晩年、料理の腕をふるうことも出来ず、気むずかしい人だったので奥さんにも恵まれず、さびしい後半生だったようだ。
★私は父が百科事典の編集の責任者だったので、星ヶ丘茶寮に事典の原稿を書いていただいた大学の先生方を"貴重な原稿をありがとうございました"と接待していたので、毎月茶寮から案内状が来ていた。それを見て私は魯山人に興味を持った。
★ 魯山人の作品展を見たり、伝記などを読んだりしてますます好きになった。ほかの陶芸家はまず土(原材料)にこだわり、その土に惚れるとその土地に住み、いろいろな陶器を作るが、それがどのように使われたか? については関心が薄いように思う。私が魯山人を好きなのは"料理を美味しく食べていただくための陶器"と目的がハッキリしているからだ。
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★魯山人は天国に行って、いま、どうしているだろうか? たぶん鎌倉の天国へ行ってまた、鎌倉の土で陶器を焼いていると思う。しかし、天国に行ったら、また料理に対する情熱が燃えてきて、鎌倉のお寺の和尚さん達を招いて、いろいろお食事会をやっているのではないか?
★魯山人はもともと放浪癖がある。仏さまになってもなかなか直らないだろう。天国のルールでは、お坊さんだけは"キント雲"に乗って、どこの天国へも飛んで行ける。魯山人は親しいお坊さんのお供として"キント雲"に乗せてもらい、各地の食材を、カレなりに料理してその土地の土で陶器を焼き、招いてくれたその土地のスポンサーにご馳走して、喜ばれているのではないだろうか?
★魯山人は天国に行った方が料理と陶芸、両方やれるので下界にいた時よりもずっと生き生きしてくる。そして鎌倉に帰れば、天国の女性の仏さまは下界の女性より心が広いので、気むずかしく、怒りっぽい魯山人にも"ベターハーフ"が出来て幸せな毎日を送っているかも知れない。
★私の父はジャーナリストとして"さあ、これから良い仕事が出来るぞ!"と思った時期に、45才のときに交通事故で他界した。私は5才だったので、父とお酒を飲んだことが無い。
★魯山人さん、こんどあなたの鎌倉のお食事会に"私と父"を呼んでくれませんか? 父は何十年ぶりであなたの料理を食べて、きっと喜ぶと思う(もうじき、父が死んで60回目の命日だ)。






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