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2010年03月05日

ライフプラン

市民後見人養成プロジェクト(http://www.shimin-kouken.jp/)の2期生として参加して、いよいよ体験活動に入った。先月オリエンテーションがあり、私は母の後見人設定を体験活動とすることにした。


実際に申し立ての書類を作成し、公証役場まで本人と一緒に行き申請をするところまでが体験活動の範囲(実際に申請手続きをとるかは別)となる。

オリエンテーションが行われてから2月いっぱい、何だかとっても忙しくて手をつけられなかったが、3月末までに事務局あてにライフプランの作成と若干の書類提出があるので「あらら、大変!」と昨日、慌てて実家に行き母と少し話すことにした。


まずは、ライフプラン。

残りの人生どう生きるか、また判断能力が衰えたときにどんな生き方をしたいか、など雑談を交えながら話すことにした。

が~、話はすぐに私たちの小さかった頃のことや、孫の話になりなかなか進まない。

「で?」

何回、訊いたかな、と思うほど訪ねるが、やはり、「楽しい話」になってしまう。

いくつかある課題選択のときに「自分を対象にしてもいい、むしろ、そうしてほしい」と言っていたのは、確かに母だった。

自分の人生と真っ向から向き合うのは、誰でも苦手かもしれないよな~と思ってはいたが、母の場合、父との関係(どっちが先に逝くか)によって、私の人生変わるのよ、と最後は開き直られてしまった。

母が後に残った場合は、グループホームに入りたいと言っているが、家庭の中で人生を送ってきた母には、若干の不動産はあるにしても、他にこれといった財産があるわけでもなく、父名義の不動産や、預貯金のことから考えなくてはならなくなってしまった。

父は、若干の認知症の傾向があるが、ことお金に関しては明瞭なほど頭脳が回転するので、ここを説明していくことは「こりゃ、タイヘンかも?」

おまけに、聞きたくない話や、考えなくてはならない話になると、とたんに「そうだっけ?」となってしまう。

こりゃ、3月末までにライフプラン作成までたどり着けるとどうか、不安になってきた。

両親の今後、本気で本腰いれて考えていかなくてはならない、と改めて思った一日だった。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2010年02月26日

主人も私もやがて老いる~~

前回、前期高齢者(65歳以上)になった主人にチェックシートが届いたことは書いた。もちろん、彼は、記入後に市役所に送付した。

半月ほど経ったら、その返事がきた。ハガキにシールが貼ってあり、プライバシーはきちんと守られていた。

結果は「あなたは問題ありません」ということだった。

これを見て思い当たった。

妊娠し、安定期に入ると母子手帳を申請し、生まれた時の様子や予防接種の経歴などを書きこめるようになっている。3歳児、5歳児など健診があり、その時に、普通学級で学べるかもチェックされているようだ。これと同じなんだな。

65歳のときに認知症状がありそうだ、足腰がやがて・・・とか、わかるのだろうと。

いつもなら、照れくさまぎれに、「お上はかゆいところに手を届かせるのか」などと憎まれ口をたたくはずだが、今回はちょっと待て、だ。

今住んでいる地域の町内会は33件あって、独居の家、老夫婦の家が大半なのだ。

こんなふうに地方の高齢化はすごい勢いで進んでいる。


定年退職後は悠々自適というが、一人になった人はどう暮らしているのか?

町内の一人暮らしの人の一例は、ハム(通信)が大好きで朝から交信されている。夢中でしているので玄関のベルに気がつかない。

隣人は、いくら呼びかけても応じないので、すわや倒れたか、と騒ぎになることが起きている。


主人と最近話し合う。

「75歳になれたら、ケアハウスなどに入居を考えた方がいいね」と。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護のあけくれ)

2010年02月22日

山のこだまじゃ危ないよ

夫婦の間、名前で呼び合っていますか?


先日、友達が講師をしている介護講座で聞いた話。

妻が外から家に電話をかけると、認知症気味の夫が出た。

「あ、私です」

「私?誰ですか?」

「私よ、お母さんです」

「私の母は亡くなりましたが」

「洋子ですよ」

「洋子という人は知りません」

何かの記事で読んだけれど、日本のように、家族間で、役割名で呼び合う国は、あまりないらしい。

つまり、子どもが生まれたら、パパ、ママか、お父さん、お母さん。同居しているおばあちゃんでさえ、自分の息子を「お父さん」と呼んだりする。

でもって、孫ができると、じいさん、ばあさん、なんて呼び合う。まあ、その頃には、本当のばあさんは亡くなっているだろうけど、もし生きていたらどうなる?

すなわち主体がくるくる変わるわけ。

ホームステイなんかで、海外から来た人は、そりゃ、びっくりするだろう。まして、彼らにとっては、新婚時代、夫を「あなた」なんて呼ぶのは論外。

混乱を防ぐためにも、今のうちに、夫婦はお互い、名前を呼び合いましょう。

早いほうがいい。

うちは…、やってないなぁ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2010年02月12日

火事

夫の父は今年かぞえで88歳。人間、年齢だけでは判断できない、とこの父を見ていていつも思う。

なんたって、元気。一人で車を運転してどこへでもでかけてしまうし、畑仕事にも精をだす。

7年前に妻(夫の母)を亡くしてから、ますます元気いっぱい、我が人生を謳歌している。口ぐせは「息子が頼りにならないから、頑張るしかない」

父を支えている過去の栄光の話を「またか」と心のなかで思いながらも、感動しつつ聞くことが嫁である私の役目。

月に1回、様子を見にいくたびに繰り返される「行事」となっている。


3年前、同じ敷地のなかにある夫の弟の住んでいる家が漏電で火事になった。

1階を物置として使っていたので、漏電で、あっという間に全焼してしまったらしい。ちょうど、火災保険がきれて1週間目の出来事。

そのあと、義父はこつこつとまた庭に同じものを建てた。

義父は案外器用で、母屋以外は自分で全部建てている。以前と同じように1階は物置、2階は義弟の住居と事務所。


今回の火事の原因は放火。

知らせを受けてかけつけたが、一面、水びたしで黄色い警察のテープが張り巡らされていた。

1週間前にも敷地内の別の倉庫が放火されたばかりだという。

幸い、怪我人はいなかったが、物置においてあった軽トラック2台とバイクのガソリンが火事の勢いをつけたらしい。

警察の捜査がはじまり、義父に話しを聞こうにも「話が通じない」と警察から連絡があった。義父からも「警察は何もしない!」と怒りの電話が私に入ってくる。

家族のなかでは通じる会話が、どうも警察には通じないのが原因らしい。しかし警察の言っていることはもっともなことで、義父は訊かれたことに答えるのではなく、自分の話しばかりをしてしまっているみたいだ。

伝えたいこと、伝えなければならないことがごっちゃになってしまって、結局伝わらなくて、捜査自体も滞ってしまっているというのが、警察の言い分。

結局、通訳が必要になり、2台の電話で間に私が入り、通訳でようやく今日から捜査が始まることになった。


介護保険は払うだけで、使ったことがない、と自慢の義父だが、近くに住んでお世話ができないだけに、そろそろ一人暮らしの義父の今後を話しあわなくてはならない時期に来ているのかもしれない。


今日の義父の様子・・・。

今回全焼してしまった建物の屋根を修理中に屋根から落ちて肋骨を骨折中の義父は、電話の子機を枕元において、警察を負かせたと鼻息が荒い。

「負かせてどうするの?」と訪ねたら、「俺は警察は嫌いなんだ」

「好きとか嫌いの問題じゃないと思うよ」

「犯人は○○だってわかっているのに、見当違いの捜査をしている」

…今日から捜査始ったばかりなのに……。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2010年01月28日

前期高齢者とは…

年が明けて夫は65歳になった。「前期高齢者だ!」と盛んに言う。

何か変わったことがあるかなーーと眺めているが、顔が変わるわけもなく、動作が特段早くなるわけでもない。

微妙な変化を妻たる私が見つけられないのは、私の認知度が上がっているのか(^_^;)


しかし市役所は早速というか、自動的にというか、介護保険を天引きします!!という通知と一緒に介護保険証を送ってきた。

その中に生活機能を評価しますという文書とチェックリストがあった。

日常生活/栄養状態/口腔機能/閉じこもり/認知症/うつ

の6分類でチェック。詳細は
http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/1/5/9/3/1/
の生活機能評価事業(基本チェックリスト)にある。

夫は朝からリフォームしたお風呂のタイマーをいじったり、TV番組の録画セットをしたり、庭の片付けをしたり、フォトフレームの中身を追加したり、この10日以内に入手したこれらのマシン=玩具を使うことに余念がない。その上、仕事のメールを確かめスケジュールしている。

私がもっと若かったら生活機能チェックリストを見て、お上が、高齢者の状況を掴み「おいおい、やばいぞ、と言っている」くらいにちゃちゃを言いそうだが、今回は違う。


私の方が「お家にいる」(引きこもり予備軍か?)

私の方が、還暦を前にして、「身体のあちこちがガタピシいっている」(成人病患者か?)

仕事柄、机に向かって考えたり書いたり調べたりで動かない(うつになりそうか?)


どうやら50代前半くらいから、自分の生活を見直した方がいいのかもしれない。

ちなみに私、58歳。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2010年01月21日

誰のための料理?

『ジュリー&ジュリア』という映画を見た。

1950年代に活躍したアメリカの有名な料理研究家ジュリー・チャイルドの、料理本に出てくる料理を、現代の作家志望の主婦ジュリアが全品再現してブログに載せていくという話。二人とも実在人物。内容もほぼ真実。原作はジュリア本人。


物語は、二人の話を交互に織り交ぜながら進んでいく。メリル・ストリープが演じる大柄で食いしん坊のジュリー役が、それはそれは魅力的。胸いっぱいに息を溜めて、お腹の底から言う「ボ~ンナペティ!!」。


夫役の男性は、名前はよく知らないけど、確か『プラダを着た悪魔』でも共演していた。あのときはオカマ役で。この夫婦がまた絶妙。


夫の転勤でパリに住んだジュリーが、フランス料理に魅せられて、ついには女性で初めてコルドン・ブルーを卒業してしまう。彼女の料理本のコンセプトが、「アメリカ人の主婦が正統派フレンチを助手なしで作る」というもの。まあ、料理的にはバターたっぷりのソースばかりで、いまの時代にはかなりヘビーだけど。おいしそうです。


絵に描いたような蚤の夫婦なんだけど、夫は妻の料理をほめ倒し、妻を心から愛し、妻の行動すべてを楽しみ、喜ぶわけです。食べっぷりに感服し、あらゆる店に同行し、帰宅直後に「今日の夕飯は何?」と聞き、いそいそとテーブルをセッティングする。


ああ、そうだな、と思う。料理は食べる相手がいないと成立しない。少なくとも女にとって料理はたまには自分一人のために気張って作るということもあるかもしれないが、私の場合、年に1~2度あるかないか。 なにせすでに料理はストレス解消の域なので。


そういえば、夫はここ10年来、いや、20年近く、家のご飯以外食べていないかもしれない。家族での外食は別として。昼も弁当持参だし、私が外食するときも、一人で家で食べているし、飲み会から帰っても食べるし。

だから、私が、自分の作った料理を食べてもらえない日というのもないということだ。考えてみればすごいことだな。もし、作った料理を無駄にすることがあったら、そのときのストレスはどのくらいだろう。


自分の料理好きは、母のおかげだということは確か。母自身が好きだったかどうかは別だが、とにかく料理は上手かった。おいしいものを作って、おいしいと言うこと、言われることの喜びを知ることができた。


今の母にとって食事は、ただ命を長らえるための栄養源。もちろんホームの料理は、おいしくて、バランスがよくて、一緒に食べる人もいるから、入所前の数年間、一人で食べていた頃よりはマシなのかもしれないけれど。


母が、誰かのために料理を作ることを続けていたら、と思う。続けさせてもらえていたら。少なくとも私は、いくつになっても決して、手放したくない。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2010年01月15日

物語のはじまり

今年のお正月の我が家の風景。
本当に久しぶりに家族が揃った。

大阪に転勤している長女、一人暮らしもそろそろ2年になる二女、普段なかなか家にはいない末っ子長男が、全員が揃うと、いつもはガランとした家も狭く感じる。

おまけに今年のお正月はそれぞれの彼氏、彼女に、友達までが集まって、なんとまあ、賑やかだったことか。賑やかというよりは「うるさかった」という表現のほうがいいかもしれないかな?

近所のスーパーが2日から開店していたのは本当に助かった。


とーちゃんと迎えるお正月も30回目近くなり、こんなお正月が来るなんて結婚したころは想像もしていなかった。

長女の彼氏は遠距離恋愛を何とか成就させたいと願っているようだが、当の長女は「東京に戻ってからね~」と、あと3年は待ってほしいと思っているみたい。

二女の彼氏は、つきあいはじめて日が浅いせいか、常に一歩離れた立ち位置で、家族の様子や友達の様子を観察しているみたい。

長男の彼女は、すでに何回も我が家に来ているので、ぬかみそをかきまぜたり台所をさりげなく手伝ってくれる。二人とも、就活真っ最中なので、その話で盛り上がっている。


30年以上も昔、実家でもこんな光景だったなぁ、と思い返す。


あの頃、父はどんな気持で当時の光景を見守っていたのだろうか?
母はどんな気持で台所に立っていたのだろうか。

3人の子どもたちの「結婚物語」が始まりそうな気配を感じながら、一人そんなことを思っていた。


筋書き通りにはいかないイレギュラーな出来事も起こるかもしれないし、案外、平凡に物語が進んでいってしまうかもしれないし・・・・。


願うことは一つ。「いつまでも自分らしくあってほしい」

そして、私も「自分らしく生きたい」


どこの家庭でも繰り返される当たり前な歴史。
そんななかに、じわんと「幸」があるのだろうか?

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年12月25日

舅に宇宙遊泳はもうない

ついに舅の介護度は要介護5になった。

言葉はほとんど発しない。マジックペンで用紙に言葉を書いてみせると、読んで、首を縦にふるか、黙っているかの二通りだ。

でも、その行動でこちらは様子をつかむことができる。

先日からおなかの調子を崩し、絶食し、少しずつ普通食に戻した。そして先日検査をした。

といっても、バリウムを飲んで、グルグルと体が回転するマシンでの検査はできない。

介護度5だから、寝返りがうてないし、うつぶせも無理、身体をななめにしてそのままの状態の維持など、夢の夢だ。

で、腸のごく一部に投影の(バリウムではない)液体を入れて写真をとった。医者の説明は癌がある可能性も否定できない。ただその検査をして胃壁、腸壁を傷つければ取り返しはできない、とのこと。

私も宇宙遊泳みたいなあの胃の検査は大嫌い。「おじいさんにはもう、苦しい検査は、止めましょうよね」と自然に言葉が出た。

ノグチさんはソユーズで泳いでいるけれど・・・

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年12月21日

母の家

師走も押し迫って、気になるのは、お正月をどうするかってこと。

毎年、今頃になると、実家とやりとりするわけだけど、今年は気軽に電話するのをはばかってしまう。


果たして母は一時帰宅するのか。


グループホームは、決して母の家ではない。母のものは何もない。洋服も、着物も、化粧品も、とりあえず揃えたもの。タンスの引き出しには、色とりどりの、あふれんばかりのセーター類。たぶんお嫁さんが気を遣って送ってくれたのだろうけど、私は、ここ数年、そのセーターを着ている母を見たことがない。そして、そんなセーターを着て、母が一人で出かけるところは、もうどこにもない。


いや、あの家でさえ、母の家ではないのかもしれない。今の母の本当の家は、父が開業していて、私たちが子どもだった頃の、建て替える前の家か、それとも娘時代を過ごした、福岡の畑の中の、広大なお屋敷か。


そうだよね。お嫁さんは忙しい中で、いろいろ気をつかってくれている。セーターだって何だって、母にしてみれば、もう自分で選ぶことなんか、できやしないのかもしれないのだし。


考えてみれば、私は、母が生涯好きだったこととか、ずっとお気に入りだったものとか、ちゃんとは知らないのかもしれない。いつも母の近くにあった、書道の道具とか、メガネとか、時計とか、あれは私が、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。


このあいだ、キャラメルの包み紙を、ぶつぶつ言いながら、少し離れたゴミ箱にポンと投げ入れたのには笑ったけど。そういや昔から、いつも、ミカンの皮とか、ちょっと離れたゴミ箱に投げ入れていた。これがかなりの命中率で、けっこうコントロールはいいほうなんだろう。そういうところは残るんだなと、ふと思い出してみたり。


けっきょく、母がいなければ、あの家も、もう私の実家ではない。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年12月14日

75歳のボランティア人

高齢者施設のマージャンサロンのボランティアでお手伝いいただいているMさんは、御歳75歳のステキなおじ様。月に4回、杖をついて奥様に寄り添われながらバスを乗り継いで通ってきて下さる。

マージャンサロンに参加しているお客様は、みんなMさんより年下。Mさんが醸し出す穏やかな空気の中で、半日、マージャンを楽しんでいる。


初心者の方には牌の並べ方、あがり方、点数の数え方、ルールまで丁寧に教えて、他の皆さんと一緒に卓を囲めるようにお世話したり、点数を集計して順位づけをして参加意欲を高める工夫をしたり、参加費の徴収をしたりと、ボランティアでお手伝いいただいている方々は、半日、ほとんど座る暇もないくらいに忙しく働いてくださる。

ここで行っているマージャンサロンは「飲まない、吸わない、賭けない」をルールとした高齢者向けのサロンで、認知症予防のひとつとして開催している。


最近、Mさんたちボランティアの方たちと話しあいの結果「せめて交通費」だけは受け取っていただくようになったが、それも「必要ない」と強い信念に基づいたボランティア活動をされている。

「75歳を過ぎたら、自分のできることで社会と関われることが嬉しいし、マージャンを楽しみに来てくれる人と会えること、それが自分の生きがいになっている」とおっしゃるMさんたち。

Mさんたちは、マージャンサロンに来られる日以外は、ディサービスへ出向き、車いすの清掃もされている。もともとそのご縁で、マージャンサロンを手伝っていただくことになった。そして、おっしゃることは「世の中に有償ボランティアなんて変な言葉ができておかしなことになってしまった」。


かつては、バリバリの企業戦士。今は奥様と二人でボランティア活動を通じて地域と関わりながら穏やかな毎日を送っている。「世の中、お互い様っていい言葉があるじゃないか」が口ぐせのちょっと頑固なMさん。


今日も雨のなか奥様とふたり、杖をつきながら通ってきてくださった。

歳を重ねるって、素敵なことなんだなぁとご夫妻をみていると感じる一日だった。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年11月25日

無理は禁物

自室に置いたお気に入りの椅子のリクライニングシートの背を、元に戻して立ち上がろうとした途端に、肩先から背中にグキッという激しい痛みが走った。

何事が起きたのか???という思いを抱きながら、じっとしていれば、痛むは去るかと思ったが甘かった。

痛みは肩・背・胸へジワジワと広がっていく。仕事をしている主人の部屋まで何とか歩き、近くの病院へ。

2,3分しかかからない距離なのに、とても遠く感じ、途中から猛烈な悪寒に襲われた。


診察室に運ばれるとお決まりの体温、血圧、心電図と検査。

この順を踏むあたりからもしかすると・・・とひそかに思い当たる。


狭心症の発作は胸を強力につかまれるような(これは横綱級の握力で掴まれるといわれる)痛み、ヤケ火箸を突然あてられるような痛み、そしてひどい肩こりや背中の痛みと言われる。過去には強力に胸をつかまれた経験はあった。

どうやら~~と自覚したら医者の処方でニトロが舌下に。

痛みは少しずつ遠ざかっていく。入れ替わりのように頭痛。

ニトロで血管拡張をしているから当然頭痛が出るのだろうが、今回の頭痛は我慢の限界を越えていた。


気がつけば右腕にはすでに点滴の管があり、頭を振ろうにも、ギクシャク。


血管拡張剤の投与で、10人に1人はこの頭痛に悩まされると、後から医者に説明された。

10%の確率が出る障害なら改善すべきだろう!と腹がたったがどうなるものでもない。

やがて頭痛を和らげる薬も処方される。


典型的な狭心症で即入院。


思いかえせば年齢もかえりみず、夏の終わりから無理を重ねた。

介護に限度もなく、あれもこれも、とついつい、いろいろするから知らないうちに身体はついてこれなかったのだろう。

身体にひびくような苦労を強いたな、謝る主人の言葉が妙薬だった。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2009年11月19日

納豆戦争

夫と義姉の間で、二人の両親の夫婦ゲンカの話になった。はるか昔の話。なんでも「歴史に残る」大ゲンカだったらしい。原因は「納豆」。

「私がいけなかった」。義姉がようやく明かした衝撃の事実。


義父は、大好物の納豆の食べ方に、あまりかき混ぜない、よけいなものは加えない、など、かなりのこだわりを持っていたらしい。古い一家の長であるからして、家の者もそれまで、その「おきて」を忠実に守ってきた。

ところが、その朝に限って、義姉は、何を思ったか、家族分をまとめた大きな納豆の丼を、思いっきりかき混ぜたそうである。それこそ泡だらけになるまで徹底的に。その上、庭の鶏の生みたて卵まで入れてしまった。

当然、義父はムッとする。ひと言、文句を言わないと気がすまない。

といっても、温厚な(私は会ったことないけど)義父のこと、頭から怒鳴ることなどなかっただろう。ひと言、いや二言、いや三言くらい、小言をいう程度だったかもしれない。

それを、支度しながら背中で聞いていた義母が、やおらキレた。


「納豆くらい、どうだっていいじゃないか!!!」


そう怒鳴ったかと思うと、持っていたおたまをバーーンッと置く、茶わんをガチャンッと投げる、ヅカヅカとやってきて、ちゃぶ台を上の食器ごと持ち上げ、ガッチャーーーンッ!!!

とひっくり返す。おぉ!これは、まさに星一徹か寺内貫太郎状態。

……いや、ちょっと脚色。でも、実際、二人の記憶によれば、茶わんが飛び交い、ちゃぶ台は確かにひっくり返ったという。

「納豆だったのか…」。

真実を知り、呆然とする夫。末っ子の彼は当時、小学1年か2年。さぞ怖かったはず。母ちゃんは、父ちゃんは、仲良しの両親は、いったいどうしちゃったんだぁ~~?!(泣)。

さて、その後については、二人の記憶はあいまい。一説には、義母は一時その場からいなくなり、義父は黙って片づけていたとかなんとか。

その頃の義母の年齢は、おそらく40歳のちょっと手前。3人姉妹の長女として、働きに働いて家を支え、戦火をくぐり抜けた後、婚家に請われて、3歳年下の長男に嫁ぎ、5人の子を産み、おとなしいが頑固者の夫と、気の強い姑に仕え抜いた、まさに昭和の母の鏡。

耐えに耐え、忍びに忍んだ末の大爆発。たぶん、いろんなことが、本当にいろんなことが、彼女の胸にいきなり去来したのだろう、納豆をきっかけに。

大して耐えてもいないのに、ちょいちょい小爆発を繰り返しながら、その年齢をとうに超えた自分にも、なんとなくわかる。そのときの義母の気持ちが。誰でも、同じ道を歩いていくんだね。なんだかうれしいような、切ないような。

閑話休題。今は共に鬼籍に入った二人だけれど、夫婦のむき出しの在りようを教えてくれたと思う。どんなであれ、家族の営みのプロセスには、けっこう似たような節があるもの。年を重ね、その節をいくつも乗り越えた後に、たぶんかけがえのない、オリジナルの夫婦ってものができ上がるのかもしれない。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年11月05日

ランチ談義

昼食は外食が多い。出先で食べるのも楽しみの一つ。

平日のランチ時は50代から60代のマダムのグループが多い。

聞くともなしに、いろいろな話が聞こえてくる。なんたって、でかい声。

となると食べながら聞くことにしている。

リーダーっぽいマダムの家庭の話はけっこう面白い。

定年で家にいるご亭主の話しは話題に事欠くことなく、共感も得ながらどんどん声は大きくなっていく。

「何もやらない」
「このままだとボケる一方」

のような話がやっぱり多い。

「だから力仕事は私は一切やらないの」

とある程度の結論が出るまで、話は延々と続く。

グループで話をしていると、中には必ずと言っていいくらい、「イエスマダム」がいる。

誰かの話を繰り返し、「そうよね。ほんとよね。大変よね」

いいタイミングで相槌を打って、話を盛り上げている。「イエスマダム」は自分のことは決して話さないし、誰も話を振ることもしない。

グループでのランチ談義には、役割分担が必要なようだ。

ふむふむ、面白い傾向だなぁと思いながらも、家に帰って定年のご主人とはどんな会話をするのかとちょいと尋ねてみたい衝動を抑えながら、隣のテーブルで一人黙々と食べている私である。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年10月30日

介護祭りの共感

『市民後見人養成講座』で知り合った人の案内で、先週の土曜日、「介護なんでも文化祭」なるものに行ってきた。


会場は四谷の上智大学のキャンパス。体育館と12号館を借り切った、思いのほか大規模なイベント。

「市民発」と謳っているだけあって、ベッドだの器具だのの業者がやたらパンフを配る、いわゆる「介護フェア」とは明らかに違う。

どちらかというとハードよりソフト寄りな感じ。介護保険から在宅介護のイロハ、セミナーは認知症、福祉業者の選び方、介護者対象のセラピーやカウンセリングもある。

要するに、介護する人を全面的にバックアップするフェアなんですね。


映画上映やワークショップ、体育館では落語やプロの演奏もあり、かなり充実した内容。中村敦夫の基調講演は聴き逃したけど。


紙オムツの製造販売会社の社長と落ち合って、ひととおり回り、知人のブースでおしゃべり。

彼女は介護サポートの事務所を一人で運営している。販売はしない。紙オムツを中心にした介護用品の選び方、使い方、業者への対応などなどをアドバイスする総合的な介護コンサルタントのような仕事。

これはありそうでなかった役割だけど、当事者にはものすごくありがたい存在だと思う。


社長と分かれた後、かねてから興味のあった認知症疑似体験のブースへ。

DVD付きの特殊メガネをかけて、トイレに行きたくてもたどり着けないで家の中をさまようおばあちゃんの目線をバーチャル体験する。ものすごく視野が狭くて、テンポがのろい。


体験希望者に、若めの男性が多いので驚いた。私より下、40代前半か、30代もいる。そこだけじゃなくて、会場全体がそう。

介護家族は同世代というより、もっと若い層に及んでいるわけか。


そうだよね。たぶん当の本人ではなく、ましてや老老介護の一方ではなく、ここに来る、来ることができるのは、身体的にはちょっと距離のある、しかし、心情的には切羽詰まった人たち。つまり、私みたいな立場の人間なのかもしれない。


実際、その後、参加した「パーソンセンタードケア」の講座は満席で、まさに同世代の人間たちばかり。

座って、講演を聴いていると、一種不思議な一体感が生まれてくる。私だけかもしれないけれど、何か、皆が、それぞれの置かれた境遇に照らしながら、同じようなことを考えているような、共感作用。


パーソンセンタードケアというのは、欧米の介護や看護の場面で生まれた考え方で、それ自体は、まさに言葉そのまま「介護される人を中心に置く」というものなのだけれど、これがかなり深い。

というか、簡単なようで、これが容易にできるものではない。


人間は、どんな場面でも、自分を中心に考えてしまう。これは当たり前のことで、そうでなくちゃ人間、ふつうに生きていられない。たとえ、だから、どうしても、「こうしなくちゃいけないでしょう」と、認知症の人にも状況の逼迫加減を、相手に押し付けてしまう。社会だの常識だのを味方につけて。


相手の位置に思いっきりボンッと自分を持っていって、載せてみる。これがなかなかうまくいかない。チョロチョロできても丸ごと置き換えるのは難しい。


講義の内容で、一番有効だった知識は、人間の潜在意識というものは、主語を持たないということ。

だから、誰かを罵れば、必ず自分が傷つく。逆に、誰かを思いやることで、自分自身が癒される。真実だとすれば、介護する人間に、どれほど大きな励みになるだろう。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年10月21日

マークしていたことを考えるのは来週

午前10時11分、姑が発作を起こす。

いつもの病院に連れていくがここでは手におえず、10キロ離れた特定指定病院に搬送される。

心筋梗塞だと判明。検査・手術の同意書に署名をすぐに求められる。

緊急手術になる。

動脈の1本に血栓ができ、カテーテルをいれて粉砕し、ステントで血管を広げた。

12時50分に手術が終わりそのままICUに入る。

手術の間に自宅で舅をみている主人に電話し、ショートスティの入所をいつも施設に申し込むことを頼む。主人は介護タクシーをよび、舅をショートスティに入れる。15時30分。

手術後には入院診療計画書と看護ケア書に署名。
次に身体拘束に関する説明と同意書に署名。

署名のつど、その趣旨の説明はあるが、日本語を言われているのかさえ判断ができないが署名。

とにかく姑を助けて下さい!という願いだけ。もし振込書を突きつけられたら、すんなり署名して「ふりこめ詐欺」にひっかかったとしても文句はいえない状態。16時40分。

例にもれず、いったん自宅に戻って入院に必要な細々した品の荷物を作りをし、再び病院へ。

戻ったときは日が暮れていた。18時50分。

夏の終わりに彼女が倒れたときから、私はかなり彼女の身体をマークしていたのだが、老いにはかなわないのか・・・。

この結論は来週にでも考えよう。

ただ、疲れた。

病院から呼び出し電話が来ないことばかり祈って眠った。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年10月02日

救急車に乗って

先週の日曜日の朝、爽やかに目覚め……ではなく、この日はとんでもない日となった。

「なんだか、気分が悪い…だるい…背中が痛い…ついでにみぞおちも痛い…」

しばらく、ゴロゴロしていたが、1時間もしないうちに冷や汗が出て、痛みはどんどん押し寄せてくる。

「救急車呼ぼうか?」

犬の散歩から帰ってきた夫がちょっとびっくりしたようで声をかけてくれる。

「救急車? イヤダ! たぶん、そのうちおさまる」。しかし、おさまらなかった。

遂に「救急車に乗りたい」。

救急車で搬送されるときも、「家の鍵がない。何を持って行ったらいいんだ」。

って、私に聞くな!

ようやく救急指定病院に到着し、とりあえず血圧、熱をはかり医師の診断を待っているうちに、少しずつ痛みがおさまってきた。

「腎臓結石でしょう。CTとレントゲン、他にちょっとした検査をします」。

検査の結果は、やはり医師の観たてどおりで腎臓結石。

結論がでるまで約2時間。たぶんそうだろう、という雰囲気が出てきはじめたころから、例のごとくウンチクが始まった。

「普段からの不摂生が原因だ」
「緑黄色野菜が少ない」
「肉はやめて、魚に全面的に切り替えたほうがいい」
「これからは……」

こっちはまだストレッチャーの上。今はそんな話、聞きたくもない。

連休中ということもあって、1週間の入院治療となり、病室へ移動。入院に必要なものを準備しなくてはならない。

一度も入院をしたことのない夫は、何が必要なのかもわからず、娘たちに電話して「ママが入院した。手伝ってくれ」。

結局、娘がとんできてくれてとりあえず必要なものを売店で用意し、あとは自宅から運んできてくれた。

ま、それから1週間。

「会社の帰りに見舞いに行くって憧れていたんだ」という夫は、律儀に毎日病室に顔を出してくれる。

ケーキやら好物のお寿司やらを土産に持ってきてくれるが、ベッドで寝ているだけの私はさして食欲もなく、「明日は何も持ってこなくていいよ」。

入院中、ありがたかったのは、食事の支度をしなくても食べれたことと、ただひたすら寝ることができたこと。

そして、いっぱいいろんなことを考えることができたこと。

結石以外にも病名がついて、現在は通院治療中。気持ちはあせるが、元気なときの70%ぐらいしか動けない。

が~、夫のほうが普段の生活にとっとと戻っており、そのミゾは深いかもね?

「ねぇ、ちょっとは自分のこと、自分でできるようにしておいたほうがいいよ」。

100%回復するまえに、言っておかなくっちゃな、とタイミングをねらっている。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年09月24日

運転免許証は…

姑は83歳。もみじマークをつけて舅を車に乗せて楽しそうにあちこち出かけていく。

山陰は人口が少なく、高速道路を走る車もいつでもまばらだ。

だからいいというわけではない。もし事故が起きればと主人と私は心配だ。

親戚や友人たちとの集まりで、高齢者との生活の話になると、ディサービス、ショートスティ、特別老人ホームの話題と共に運転免許返上のことがたいてい出る。

都会と違って、バスが頻繁にないから、免許を返上すれば、次の日からタクシーを呼ぶしか手段がない。

姑が急性の狭心症を起こし入院したので、免許証についても主治医と話し合う時間がとれた。早速、「姑は運転をしていいでしょうか?」とお伺いをたてた。この症状をきっかけに返上できればと私は目論んでいる。

医者は「今回の症状が出てきたのは年齢からくるものとストレスでしょう」(一番のストレスは舅の介護、と主治医も承知している)。

「でも、T子さんの場合は、だれかに連れて行ってと頼むことが、ストレスになりますね。今まで、しっかりと方針をもって生きてこられた方ですから、もちろん、あなたが(u子のこと)が気持ちよくあちこち乗せて行かれるとわかっていても」

「認知症の兆しがあるなら、医者として止めましょう、の指示を出します。今はまだ認知症については問題ないです」

この答えに姑もにんまりする。

しかし言葉は続く。

「ただし、市内程度、です。疲れがでるほど運転すれば発作が起きても仕方ありませんよ」だった。

先先週から舅は自力で起き上がることができない。

食事前後の計6回、主人が介助してベッドから起こす。息子がいれば彼がすすんで舅の部屋にいき、手伝っている。

もう姑だけでは舅を車に乗せることはできなくなってきた。

彼女の遠出もないだろうと私は予想している。しかし・・・事故は近場だろうと起きる時は起きる。島根は神様の宝庫。しかし「家内安全」のお守りはあっても「家外安全」は見かけない。

ああ~。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年09月17日

すべてはプロの指示で

お盆開けにようやく許可が下りて、母のいるグループホームを、初めて訪問することになった。入所して2週間あまり。そろそろ落ち着いた様子と連絡があったので。

11時に待ち合わせ。車が込んで遅れ気味の弟たちより先に単独で。母はそこそこ元気そうで、相変わらず「やることがいっぱい」と、落ち着いてゆったりと過せない性格。研修に来ている学生たちに、まかないの世話をするのが忙しいのだそうな。

事実、食器洗いは担当しているらしい。洗ったまま伏せてある茶碗は、拭かずにいられないし、片付けずにいられない。文句をいいながら。

程なく、弟一家が4人揃って来る。顔を見て口々に「元気そうだ」「太ったね」。

確かに、自宅にいた頃よりふっくらして、顔色もいい。三度の食事をきちんと食べて、よく睡眠をとることが、どれほど人間の身体にいい影響を与えるかがわかる。

それを聞いて母もうれしそうだが、本人は今日帰るつもり。あくまで短い合宿から、今日は家族が迎えに来てくれたと思って「勉強になりました」とかいっている。

けっきょく、弟たちの滞在時間は正味1時間。最初は皆で「どうしたものか」と思案していたが、スタッフも心得たもので、食堂で昼食をとっている間に、母の気をそらしながら去るよう指示。順番にパラパラと帰っていく。

残った義妹も、「じゃあ、お母さん、ちょっと行ってきます」とか、スタッフの指示通りに軽く言葉をかけて、どこかで待っている弟の車と落ち合うはず。

最後に残った私は、とりあえず母がご飯を食べ終わるまで待つ。遠目で見ると、いい感じの男性も混じった同世代の5人グループで、歓談しながらゆっくりと食べている。こんなふうにゆったりと幾人かでご飯を食べる時間が、家の中にはなかったな。

食後、スタッフや、ほかの部屋の人たちに、一人ひとりあいさつして回る母の声が、扉の外側から聞こえる。入ってきた母は、私を見て安心するけれど、すぐに、ほかの家族がいないことを問いただす。思わず「今日は帰らない日なんじゃない?」と洩らしたら、もうパニック。とりあえずトイレといって、母が入っている間に、スタッフの一人から諭される。

「説得とかしないでいいですよ。適当で」

そう、無意識に説得しようとしていたかもしれないけど。

スタッフはこう言っていた。弟は「急な手術が入ったんですって」(休診日なんだけど)。お嫁さんは「ちょっと買い物に」。そして孫たちは「夏休み」。

私はといえば、帰れないとうろたえる母に、ゆっくり言葉をかける間もなく、天気がいいので何やら庭先に干したというから、それに付き添うスタッフの後を、すごすごついていく。

1階に下りて、「どこに干したの?」と促されて、母はテラスのほうへと向かう。

その間に、後ろ手で、帰れと指示する彼。シッシッと追われ、あわてて建物を出る。なぜだか身をかがめるみたいにして。

たぶん母は、さっきまで一緒にいた私のことなど、すぐに忘れて、スタッフの彼と一緒に部屋に戻るんだろう。バス停に向かいながら考えた。時計を見ると、私の滞在時間も、わずか2時間半。

かのスタッフは、料理の得意な大柄のでっぷりした青年。今日はセンター長も主任もいなかったので、彼が責任者。弟も義妹も、もちろん母も、彼に全幅の信頼を置いている。優しくて、いいスタッフなんだと思う。だから、私も、彼の指示に従わざるを得ない。

いったい、私はどこへ行くつもりなんだろう。母が彼岸に旅立つまで。

自分にも母にも向き合うこともできず、介護のプロの手に、ただ頼むばかりで。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年09月04日

おかえりなさい

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おかえりなさい
ご飯は時間で炊けます。おかずは冷蔵庫のなか。
味噌汁は、鍋ごと冷蔵庫のなかに入れてあります。
今日は、○○で仕事しています。

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ここ数日、メモ書きの「おかえりなさい」がお出迎えの日が続いている。

そのうち爆発するかなぁ・・と思いながら何年かが過ぎた。
帰ってくると、いつものソファの定位置で52インチのテレビをうつらうつらしながら観ている夫。

結婚したときから、お互いの人生を全うしようと、それだけが約束ごと。
そのためには、互いに協力できるところはしていこう、と。

夫も自分の道を進んできた。

自分の目標に対して「会社」は通過点と言い切り、6回職場を変えているし、何年間かはプータローしていた時期もあった。

私も子どもを育てながら、自分の顔をもって生きたいと仕事を続けてきた。

あと数年で定年の夫。

コマーシャルで見るような定年後はのんびり夫婦で旅行なんて話は、我が家では程遠い。
だって、定年後の人生設計を決めたらしく、ぼちぼち準備期間だと半年前くらいから妙にうきうきしているときがある。

「それはなに?」

知りたい気持ちはあるが、聞かないことにしよう。

どこかで接点があれば、そのとき一緒に取り組むか考えるつもり。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年08月26日

高齢者の社会参加!不在者投票

舅がお世話になっている介護センターから不在者投票についての連絡があった。確かめると彼は「投票する」という。舅は今ロングスティ中。

「どうしますか?」と自宅に電話があり、舅が望むことは果たしたいですと返事すると25日の午後1時半ですから、付き添いをお願いしたいと依頼があった。

約束の時間の少し前にちょうど自宅に配られた選挙公報をもっていくと彼はベッドで目を通した。

定刻になり介護センター内に臨時に設けられた不在者投票所に車いすで移動。選挙管理委員会の人が二人、立会い人が一人待機されていた。

投票者書き込みブースは4つ。椅子に座って記入できる。高齢者一人一人に委員会の人が「今回は3種類の投票です。一つ目は候補者名、二つ目は支持政党名、三つめは最高裁判所判事について、です」と一気に言われる。

でもねえ、高齢者には対しての説明の声は小さく、早口で、3つを同時に説明しても、??だ。案の定、渡された3種類をしっかり握って皆おろおろしている。

投票用紙に記入する時間もかかるから当然待ち時間が増える。高齢者達は黙りこんで行列している。自ら歩行できる人がじっと立つのはリスキーだ。しばらくするとヘルパーが待っている人用に椅子を並べた。

舅の順番になった。筆力も弱くなっているが、公報を見ながらしっかり書き込んだ。投票用紙を二つに折り小さい封筒に入れ封をし、それより大きい封筒にまた入れ、封をし名前を書く。ピンク、青、茶の3種類に封筒が分かれているが、その3種類ともひとつひとつ間違いなく入れ、封をすることって、(今まで認識していなかったけれど)舅には“大変”だった。

付き添いのいない人が小さめの封筒を床に落としてしまい、そのまま、じっとしている隣のブースの人の姿はとても印象的だった。

舅の書き込み所要時間は40分。

ようやく、三つの封筒をまとめて投票箱に投入。この時になって、カメラをもってきて、投票の瞬間を撮影すればよかった・・・と気がついたが後の祭り。

ケアマネさんが、付き添いに来て下さって助かりました、と私をねぎらって下さったがもう少しハンディのある人に心配りのある方法を考えてほしいなと思った不在者投票でした。

u子@介護の明け暮れ

2009年08月18日

一晩に4回起きる?

4回の回数は、生まれたての赤ちゃんの授乳の回数ではなくて、舅が夜、目を覚ます回数。

睡眠薬が効かないと言って「もう一錠」と要求するのが一回目。
5月に書いた記事のメモも効かない。12時から12時半くらい。

家人は大抵起きている時間。しばらくすると、諦められたらしく声が聞こえなくなる。

2時、2回目、寝返りをしたい。

3時、タオルケットがずれた。

4時・・・何が何だかわからない。

家族はフラフラになった。

1週間目、ちょうど舅の健診の日で病院にいったら即入院。腎臓の障害が見つかった。

年齢があがると悪いところが本人にわからず、気分が悪くなったり、周囲の人にあたったり、かもしれない。でも、そんな状態も後からあーそうだったのか、とわかるのであって、その時点では予想もしない。介護する側は、翻弄される。

高齢者の体調は一日の中でも変わる。お医者様の手厚い治療もある。

しかし、これだけははっきり言える。

株価のローソクチャートに似ているけれど、以前の状態に回復することは決してない。

命あるものは必ず衰えていく。

心のどこかでわかっていることだけれど、毎日のできごとを受け入れがたい。

人が老いる現場への対処はいつも出たとこ勝負。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年08月13日

携帯電話の向こう側

母がグループホームに入りました。

弟からメールが入り、「今日、連れていきました」と。

「会いに行って下さい」といわれても、電話番号もない。まあ、ネットで調べるけど。

攻めることもできない。家族ではないし。

お盆休みを利用して、ショートステイを試すから、私もその時期は面倒を見に行けないと、口裏を合わせてほしい。そういわれていたのは、ほんの1ヶ月前。

あれからいろんなことがあって、話が急転直下に進んだ、事の流れはあらかたわかっている。「2~3日預かってほしい」といわれて、「この段階でそれはできない」と断ったのも事実。

そう、弟宛てのメールで言ったから。

「おばあちゃんは私とあなたの母親だけれど、私の家族ではない」とも、「家族で話し合ったことなら従うし、私個人でできることなら何でもする」とも。

それは私自身が、自分の家族と話し合って決めたことだし、いまでも間違っていないと思う。

後になって知ったけれど、携帯電話は置いていったそうです。

どうりで、毎日欠かさずかけてきていた電話がない。もっとも、落ち着くまでは目いっぱいで、電話なんかかけられないだろうけど。

それに、たった3人にしかかけられない電話の、2番を押して私が出ても、誰に話しかけているのか、本人はもうわかってなかったのかもしれないし。

だけど、電話がないことが、これほど堪えたことはない。話す内容は毎回同じ。グループホームに行くことを「どうしようかねぇ、私も迷ってるの」というのを、言葉を尽くして説得してた。家に一人でいるより安心、時間通りにご飯が食べられる云々。

迷いなく行ったのか、覚悟して行ったのか、しぶしぶ行ったか、いやいや行ったか。

母親が自分のまったく知らないところで、寝起きしたり、ご飯を食べたりしていることが、それを想像できないことの心もとなさが、これほどきついものとは、思わなかった。

親が家族でない、その意味の重大さを、しみじみかみ締めているところ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年07月30日

市民後見人って?

市民ボランティアによる「市民後見人養成プロジェクト」に参加した。

文科省の「社会人の学び直し」プロジェクトの一環として東京大学と筑波大学の主催による養成プロジェクトである。

後見人制度自体は、介護保険制度の導入と同時にできている制度だが、まだ知名度は低く、もちろんこの制度を利用している人の絶対数も少ないということがわかった。

一言で後見人といっても、どの時点でこのサービスを利用するかによって後見人の役割や責任範疇が異なることもわかった。

東大安田講堂で行われた1回目の実務講座には500人以上の人が全国から集まってきており、今後は各地で行われるフィールド活動も含めた約1年間の125時間に及ぶプログラムを経て地域で活動する人材が養成されるはずである。

私は知人からの紹介で参加した。

いまは、多少無理しながらも夫婦二人で何とか生活しているが、いざというときのことを「子」として考えていかなくてはならないだろうとぼんやりながら思い始めたのが参加する動機だった。

たった1回参加しただけだが、これはとても難しいことだということ。しかしながら、社会的には必要な制度であるということがわかった。

果たして1年間、自分自身が持ちこたえられるかどうか、不安はあるけれど、出来るかぎりやってみようと思っています。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年07月21日

老いの坂

舅は89歳、姑は83歳と私たち夫婦は同居している。

老いの坂は音もなく急速にかけ降りる感じだ。


昨日したことを覚えていないのはフツーのこと、昔のことだけは覚えているのが少し前の状態だったが、今はもう、昔のことも語りたがらない。

話すことが大儀なのか…、忘れ果ててしまったのか…、聞いても答えは返ってこない。これが舅の毎日。

だから私は、姑には極力話しを聞いて気がつくことは、質問する、を繰り返す。しかし、今話したことすら彼女は忘れる。そして自分が決めたように何でもしている。


楽しそうな彼女の行動を見ながら、いつまでも、このままで、と願う。


しかし、主人は少し違う。「人は衰える、人は滅んでいく」と。

「どなたはんですか」と私のことを聞くようになるだろうな、と笑いながら言う。

聞いているうちは老いの坂の傾斜は緩やかなのか。


もし、彼に「どなたはんですか」と聞かれたら……。


私のご機嫌がよければ、

大昔あなたが恋い焦がれた人よ

ご機嫌がわるければ、

ヘルパーです

と言おうかな。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年07月01日

疑惑のソフトボール

夫の所属するソフトボール部の監督(59歳)が、トーナメントの抽選会に行きそびれて、今シーズンの参加は絶望。

ま、もともと出ては負けるチームなので、メンバーもそれほどダメージなさそうだけど、春季大会も試合時間を間違えたり、違う球場に集合をかけたりとミスを連発し、さしもの練習嫌いたちも、さすがにブーイング。でも、ちょっと待てよ…。


「抽選会の日時って、ずっと前から決まっていたことでしょう?」


監督歴20数年。何よりもチームを愛し(その分うるさいけど)、今までこんなこと一度もなかったと、創部以来の古株メンバーも首を傾げる。いくら仕事が立て込んでいたからといったって、何よりも試合のことは優先させていたのに。


「ひょっとしたら…」。


認知症の症状の一つとして、執着心がなくなるというものがある。食べることとか、お金のこととか、「生きる」ことに直結する事柄には、逆に固執するようになるけれど、それまで好んでいた趣味や人との交際などには、極端に興味を失っていく傾向がある。いわゆる大脳新皮質のつかさどる分野ですね。

もしかしたら、という懸念がにわかに浮上。たとえ弱小チームでも、年に一度のリーグ戦。老体にムチ打って、それ相応の楽しみはあるだろうに、当の忘れた本人は、大して悔いてるふうもなく。

実際、男性の、ちょうどこの年齢の認知症は発見しにくいとされる。もっと若けりゃ(若年性ですね)仕事に支障を来すから、社会を含め周囲が放っておかないし、もっと年を取っていれば、家族がそこそこ注意深く観察する。閑職とはいえ、毎日ルーティン(惰性ですね)で会社には通っているし、仕事の内容も重要ではないから、それほど迷惑がかからない。

一方、家庭のほうは、「好きなこと勝手にやってればいいや」と放置。よほど夫婦仲がよくて、一挙手一投足、お互いが気になるなら話は別だけど。

女性の場合も同じだけれど、男の人よりは、早めに気づいて助言する人が近くにいる。男はね、お互いのことに無関心だから。というより、傷つけ合うのが怖いから、敢えて触れようとしない。


「早いうちに言ったほうがいいよ」

「って、どうすりゃいいんだよ」


そういえばそうだ。大して親しくない奥さんに、ご主人の認知症が心配だ、なんていえるわけない。うーん、こういうとき、家族から見離された趣味の仲間の立場というのは、弱いもんですね。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年06月23日

自動車教習所の教官と結婚していない私

給付金の支給があった。

ETCを買ってさっそく車につけた。

地方では、車は完全に「足」で買い物も用事も車でなければ果たせない。今まで高速道路の入口で、ETCがついていない私の車は後方車に抜かれ抜かれて、散々だった。

わずかな差と言うなかれ、当地方の高速道路は片側1車線。抜き返すことはまず無理。

で、設置して、試し運転となって、主人を車の助手席にのせて我が家を出発。近くのICから高速に乗ろうと張り切っていたら、

「わき見をするな」

「後方確認はミラーで早めに」

とたった1キロほどの間に、彼は教習所の教官に変身していた。

そうか、この人が私が運転する車の助手席に乗るときは、列車の時刻に間に合うように駅まで行くときと酔っ払っている時であって、「正気の時」ではないのだ、と気がついた。

そして私はゴールド免許保持者だわ!とも。

黙って走り、さっとサービスエリアに入る。

「おい、どうした、買い物などないだろ」

「ええ、ここで、降りて頂く人が一人おられるのよ」

この後の夫婦の会話は読者のご想像にお・ま・か・せ

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@沸点打点)

2009年06月19日

生きる強さと食への執着

認知症が進行する母は今年79歳。

一方、近所に住む10年来の友人も同じ79歳。

友人と呼ぶのもおこがましいが、母親とはまったく違う、頼りになる相談相手だ。


彼女は一人暮らし。子どもたちは遠方にいて、たまに会う程度。贅沢はしないけれど、目も耳も達者で、いろんな世代の友達がたくさんいて、趣味も多く、毎日楽しく健康に過している。

彼女と彼女の違いは、どこにあるのかと、この頃よく考える。


ある日、その近所の友達と外出したついでに、喉が渇いたからと、ファミレスでお茶を飲むことになった。

昼でもなく夕でもなく、中途半端な時間帯だが、なんとなく小腹が空いたねというわけで、軽く小うどんと豆腐サラダを頼んだりして、けっきょく「食べちゃったね」。


「ごめんねー、付き合わせちゃって」

と、彼女はしきりに、自らの食いしん坊ぶりを反省。自然、食べ物の話題へ。

フライドポテトのメニュー写真がいたく気になったものの、今夜の献立用にジャガイモとサヤインゲンと鶏肉を用意しているため、ぐっと我慢したとのこと。

「昔っから私、おイモに目がないのよ~」

ジャガイモはもちろん、サツマイモも、サトイモも、カボチャも好き。戦時中、お腹を満たす食材といえばイモしかなく、兄弟で取り合いになり、隠し場所を作ったりしたと…。

「でも、戦時中におイモばかり食べていたから、見たくもないという人もいますよね」。


そういいながら、母のことを思い出していた。

実際、母は、若い頃さんざん食べたからと、サツマイモは一切口にしない。

二度と食べたくないと思うか、いくら食べても好きでいられるか。


食への執着。


決してそれだけではないはずだけれど、生きる強さの違いは、案外そんなところにもあるかもしれない。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ

2009年06月10日

身だしなみ

遺跡発掘や、ボランティアで公道に植木を植えているTさん。

長年の会社勤めの経験もあり、今は公共施設で勤務しています。

最近、その施設の利用者さんから「身だしなみがいかがか?」という言葉を聞くことがあった。

利用者アンケートでも、「爪が黒くて不潔な感じがする」「起き抜けのような髪で見苦しい」など、改善してほしい旨のコメントもある。

で、手と爪を洗ってきてください。髪の毛はとかしてから出勤してください。と言いたくもない注意をすると返ってきた言葉は

「誰がそんなことを言ったんですか?」
「これが私のファッションです」
「花を植えているから仕方がない。農家の人はみんなそうです」

「確かに個性の表現かもしれないが、身だしなみと個性は違いますよね、お客様へ対応する職場として清潔感のある身だしなみに改善してほしいと言っているので、その点は守ってください。」

明日の出勤時の「身だしなみ」がどうなのか期待と不安でいっぱいです。

夜遅い電車のなかで見かける「ちょっと疲れたおじさん」がネクタイをゆるくして、気持ちよさそうに寝ている姿は、「お疲れ様~」って思えちゃうんだけどね。

ほほえましく許せる「ダレ感」と絶対に許せない「ダレ感」が自分のなかにあることがわかってきた最近です。

女同士は厳しく見てしまうのか、いやいや、そうじゃないよな~。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年05月28日

メモは印籠代わりか?!

今日のテレビのニュースが終わり眠ろうとすると、舅達の部屋から何やら声が響いてくる。舅のもごもご声と姑のダメということば。

またやってるわ、その意味はおそらく、寝付けないので、睡眠薬をもっと持って来いという舅と、それはできないという姑のやりとりだ。

こちらは、声を聞きながら眠ってしまった。夫はもちろん、どこにも風は吹かないさ、と意に介していない。


次の日が舅の健診日で、舅、姑と同行した。

舅の主治医は女医さん。男性高齢者に特に人気だ。

女医さん「どこも痛くないですか?よく眠れていますか?ちゃんと食べていますか?」
舅「はい、いいです」

とふかーーく頷く。隣にいる姑がじれて

「ここのところ、睡眠薬が効かないと12時近くになると起き上がり、二回に一度はまた飲みます、ダメと言っても飲んでしまう」と言った。舅は知らん顔を決め込んでいる。

女医さん「そうですか」と言ってから、「眠れませんか」と舅に問いかけるが、舅は返事をしない。

思わず私が口を開く。

「先生、舅は囲碁が好きで新聞の囲碁の記事は繰り返し読んでいます。すみませんが、メモを書いて頂けませんか。薬は決まった量を飲みましょうって。姑が深夜になって、起こされていて気の毒です。おじいちゃんが薬を出せと言ったら、メモを出してここに書いてある通り、と言うといいの・・」

まで言ったことろで病院の罫紙が取りだされて、サラサラと女医さんは次のように書き、読みあげた。


=======================
薬は決めた量を飲みましょう。
多く飲んだら、認知症が進むことがあります。女医さんの印
=======================


印を押してから、もう一度繰り返し女医さんは読んだ。

舅は深く頷き、渡された用紙を丁寧にたたみシャツのポケットに入れた。


その次の日も、深夜の舅達の声は聞こえなくなった。

「最近はおじいちゃん、夜遅く薬っていわれませんよね」と私。

姑はにっこりして言う。

「言っているよ、昨日も。でも、私が、先生のメモ読みなさいって言って寝ちゃっているんだ」

「まあ」

「私によく効くよ」と姑。

あのメモ紙は葵の紋章の透しが入っているかも、ね。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子@介護の明け暮れ)

2009年05月21日

DVの予感

新宿駅のホーム。特急電車は車内清掃中。

携帯メールに気をとられてアナウンスを聞き間違え、急いで乗り込もうとしたら、いきなり、


「おい、並べよ!!!」


怒鳴られた。耳元で。

最前列の男。見ればそれに連なる長い列。こりゃまたすみませんでした。


しかし、心臓が止まりそうだった。なにしろあんな大声で怒鳴られたことないし。


そりゃ私が悪いです。もう乗車が済んでしまったと思って、ドアから離れている列に気づかなかったから。


けれど、何もあんなに怒鳴らなくても。しかも、「並べよ!!」と有無をいわさず。

耳元で言うなら一言、「並んでますよ」でいい、ハッと気づきますよ。私だって。


軽くへこみながら、座席につき、つらつら考える。たとえば私が若くてうんと美人だったら、どうだったろう、とか、じゃあ反対に、うんとデカイ、ドスのきいた男だったら、あの男は怒鳴ったろうか、なんて。


降りるとき、前のほうの席に、例の男が一人で座っているのを見た。そっか、隣の席じゃなくてよかった。本気で安堵して、かなり自分がショックを受けていることに気づく。あの男、いつもあんな大声を出してるのかしら。家族にも?冷静に状況を判断して言葉をかける前に、相手をびくんと脅して黙らせる。DVって、そんなふうに始まるんだろう。女子供は怯えて暮らさなきゃならない。


そんなの嫌だな。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年05月11日

息子の彼女

長女と二女が自立して一人暮らしを始めてから、何となく寂しそうな我が家のとーちゃん。

もともと、これといった趣味もなく「ま・じ・め」街道を生きてきた人だけに話し相手、気になる相手が目の前にいないと言葉も少なくなる。

唯一のお相手は、テレビ。

私も、そんなとーちゃんにかまってもいられない。

休みの前になると、

「ホームセンターに行かなくっちゃ」

大の仲よしの飼い犬のえさを買出しに行きたいらしいが、

「ごめんよ、その日は予定が入っている」とたいてい断る私。…それでも、毎週「行かなくちゃ」と何気なく誘ってくるが、きっぱり断る。

末っ子の息子の彼女が最近よく我が家に出入りしている。

夜帰ると、「お邪魔してます」。

とーちゃんと息子と彼女の3人で仲よく夕飯を食べている場面が多い。彼女の作ってくれた料理を「おいしいよ」と言いながら食べている。

おまけに、息子の彼女はとーちゃんの話し相手にもなっている。テレンとニコニコしながら、楽しそうに話している。

社会情勢から芸能界、スポーツ界に至るまで話しのタネは尽きないらしく、毎回、異なるテーマで話している。

私には出来ないわ~と思いながら、「あとはよろしく!」

息子夫婦と同居ってこういうことなのかな~?

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年04月22日

入院して、困らせたのは誰?

友人のご主人が喉の手術をした。

お見舞いに行ったら、『沈黙治療中』という大きなステッカーが天井からぶら下がっていた。

私の友人は病室前の廊下に私をすぐに引っ張り出した。あわてて耳元でいう。

「忙しいのに、来てくれてありがとう」

「どお、ご主人のお加減は?」というと、彼女は、

「私が声を出すと怒るのよ」とニヤリとしていう。

「えっ、どういうこと?」と思わず聞き返すと、

「のどに負担をかけてはいけないので筆談しなさいって、お医者様がボードを貸して下さったのよ。で、最初はゆっくり、ていねいに文字を書いていたのよ。でも、そう長くは続かなかったの、あの人、イライラしてきてね」

「・・・」

「私がお見舞いの人と話すと、あてつけるなと乱暴に書くのよ、最初はその字も読めなくてね」

返事をしようにも、何て言っていいのだろうと私は思った。

「私ね、黙っているの、あの人には」

「・・・」

「そしてね、あなたのようにお見舞いに来て下さる人にはあの人に聞こえないようにそっと話すの」

「・・・」

「そして思ったのよ、夫婦喧嘩ってお互いに元気だからできるってね」

「・・・」

彼女の話は延々と続いた。

その日、病院の廊下で私が言ったのはお加減を聞いたのと「えっ、どういうこと?」のふた言だった。

3週間後…。

電話したらご主人が電話口に出た。

「その節はどうも。遊びに来て下さいよ。アイツが待っています。あなたが黙ってアイツの話を聞いてくれたことが一番のよかったことのようです。やっかいかけました」

彼はどこまでも“幸せな人”だ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2009年04月16日

いただけない居酒屋メソッド

大学の同期のお母さんが亡くなって、久しぶりにサークルメンバーが集合した通夜。

精進落としの店(某居酒屋チェーン)に遅れて到着した私は、一番通路側の空いている席へ。

見ると、テーブルの上はガラーンとお通しと瓶ビール数本のみ。

「あれ?なんか頼んだの?」

「いっぱい頼んだよー、全然来ないー」と、女子はすでにブーイング。聞けば、枝豆だのおしんこだの、「すぐ出るメニュー」は、ぜんぶ売り切れだそうな。

男子のほうは意に介さず、ビールだけあればと話に夢中。

ようやく一品目を持ってきた金髪のお兄ちゃんに、さっそく聞く。

「さつま揚げは早く出るかな?」

「あ、いやぁ」

「じゃ、一番早いのはどれかな?」

「あ、あっちのメニューのほうがたぶん」

と、テーブルの真ん中辺に埋もれている手書きのメニューを指差す。「今日のおすすめ」というやつですね。

「なーんだ、それ教えてくれなくちゃぁ」

追加の注文を受けた兄ちゃんは、口元のマイクに小声で「12番さん、急ぎでお願いします」といいながら去っていく。

一連のやり取りを見ていた向かいの席の男子が、いきなり

「あれはいただけないな」

「えっ、なに?」

どうも、私のお兄ちゃんへの態度が気に入らなかったらしい。ん?言い方が怖い?威嚇でもしていたと?

すかさず、隣の女子が援護する。

「何いってるの、放っておくと一生来ないわよッ」

「いや、オレだったら、あんなこという女は、絶対に採用しない」

ふんッ、そんな上司のいる会社、こっちが願い下げじゃ。

威嚇(?)が効いたのか、いっぺんに皿を持ってきたお兄ちゃんに、「はい、ありがとう」と笑みを返す。と、それでいい、オレの助言が利いたとばかりに満足気。

違う!!!

一人焼肉をすすめる「悶々ホルモン」という本を出したライターの女の子がいっていた。男子の連れて行く店は大抵ハズレ。貴重な時間をそんな店に費やしたくない、女子のほうがずっと美味しい店を知っている…。

大いに共感したけれど、店によって店員との応対を柔軟に変化させるのも重要。居酒屋チェーンにもそれなりのお客のノウハウがある。キャッチ・アンド・リリース、アメとムチ、軽く落として持ち上げる、プレッシャーも仕事の肥やし。眠れる金髪兄ちゃんの職業意識を目覚めさせるために、母の叱咤も必要なの。

いつも同じような店でふんぞり返って、きれいなお姉さんに上品なもの言いしていたって、つまらないでしょッ

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年04月01日

おばさんパワー全開!

4月から始まる委託事業の準備であれやこれやで慌ただしかった2月3月。

今回は、パートさんを8名採用することになり、新聞折り込みとハローワークで求人募集を行った。

2月末から3月の1週にかけて、延べ35名の面接を連日実施。これはこれで、とても精神的にしんどいものでした。

事業のキモと言われる「人・モノ・金・情報」

人は大事と、気合を入れて面接に臨む。

面接に先立ち、企業人研修でつかうセルフチェックシートで自己評価をしてもらい、それをもとに色々と質問を。

おこがましいが人柄や、業務能力をあぶり出せないだろうかと角度を変えて質問を投げかける。

じっくり考えて答えてくれる人、こう言えばウケがいいだろう、ばかりの優等生的な答えを出す人、これまでの仕事での栄光を語る人…様々です。

今回ばかりは、公共施設3館を同時運営となるその最前線の人たちの採用なので、こちらも失敗はしたくない。

結果、8名を採用となったが、気がついてみれば全員女性。40代から60代までの、経験豊富な人材が集まりました。

面接をしながら、この人にはこんな役割を果たしてほしい、きっとこんな役割を果たしてもらえるだろう、とイメージがつかめる人が結果的に採用となったが、全員女性だったいう結果にちょっとびっくり。

確かに、面接時には、男性も半数近くいたはずだったんだけどなぁ。

地域に密着した社会資源である公共施設、それも主に高齢者を対象とした事業となると、これまで○○会社の部長とか、役員だった人は、それまで培ってこられた会社概念では当てはまらない。

言いきってしまっていいのか、まだ判断がつきかねるが、プライドや上から目線での業務ではないということだけは、これまでの経験で身にしみている。

昨日、新メンバーとともに引き継ぎがおわり、いよいよ本日、4月1日から業務開始。

どんなチームワークを作りあげていってもらえるか、期待は特大級です。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年03月23日

初めての“おーくしょん”

生まれて初めて“おーくしょん”に参加した。

ネットでメールのやりとりなどしているから“おーくしょん”そのものは知ってはいたが、自分で価格をつけるなど想像もしていなかった。

和服が好きでネットで品物はみているけれど、画面と実物は色も風合いも差があるから、と見るだけだ。

しかし、その日は暇であちこちネットを眺めていたら、例の1円から入札できる“おーくしょん”があって、いくら頭をひねってもこんな価格ではこの生地はかわいそうだと思う値しかついていなかった。残り時間は1時間をきっている、これはきっと締切時間間際に値が上がってラッキーな人が落札するに違いないと一人決めし、いい加減な価格を入れた。

数時間後にメールをのぞいたら、何と「落札されました」というタイトルのメールが届いているではないか。

それからが大変。どんな品物が到着するのか、ドキドキした。手元に到着して想像以上に気にいって、仕立てに出す。もちろんこの工程もすべて、主人に内緒。和服の仕立てには1か月ほどかかるから、見つからないように、の諸心構えなど一人で想像して、近年にないほど、ワクワク感を味わった。

仕立てができたというメールと共に、お届け日をいつにしますか?という問い合わせに、主人が外出して見つからない日を選んで返信した。定年退職後の主人との生活ではこんな気遣い?もある。

そして無事に「見つからず」に受け取って、畳紙をあけて、大きな満足。とてもうれしかった。着ればバレてしまうと知りつつ、でも、こんな楽しみはクセになりそう。

週末の主人と出かける日、お初で着て、いい色だねえ、いつ買ったの?と聞かれ白状。

「よかったじゃないか、あいつ(長男)のところにも子供ができて君も一安心だものな」と意外な答えに、たまにはあなたもイイこと言うじゃない、と思った。

次の日宅配が届いた。宛名は主人宛、中身は、ブランドの男性用腕時計。

「・・・」

「君もいい和服買えたし良かったよな」とのたまう。

ん、もう、そういうことだったのか!!

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2009年03月18日

花粉症の認定条件

花粉症の季節。

一昨年あたりから、夫もこの時期になると、鼻をグスグスやるようになった。

「ついに文明人の仲間入りだね」。

ところが、どうにもそれを認めたくないらしい。

風邪だと言い張り、ごていねいに風邪薬だの葛根湯だのを飲んで、

「あまり効かないな」。

だから花粉症だって。

その証拠に、雨の日はどんなに寒くても、ピタッと鼻水が止まるでしょう。

あれ、何でしょうね。絶対に認めたがらないというのは。何の信念?

「自分は花粉症になど決してならない」という根拠のない自信。

そうかと思えば、やたら自分は花粉症だと訴える人もいるけど。

わからん。男の心理。

で、風邪だから、マスクもする。他人にうつさないために。

最近は、ずいぶん性能のいいマスクが出回っていて、何かないかといわれたから、以前、ビジネスフェアでもらったサンプル(もちろん花粉症用)を渡したら、これがたいそうお気に入り。

「ほかにない?」

「ああ、あれサンプルだから。同じようなの買ってくれば?」

ドラッグストアで似たようなマスクを探せば、当然ラベルには『花粉症用』と書いてあるはず。

「マスクは買わなかったの?」

「ああ」

筋金入りか。

しかし、何が人を動かすかわからない。

最近、冷蔵庫のヤクルトがやけに減ると思ったら、毎日欠かさず飲み始めたらしい。

「乳酸菌は花粉症にいいらしいから」

ありゃ、さらっと認めたじゃないの。

乳酸菌の効果については、TVでも盛んにいわれている。

なるほど、そんな記事をどこかで見たか。

けど、ヨーグルトは苦手だから、それで…。

さすがLカゼイン・シロタ株。

効果があるかは別として、花粉症の容認には、大きく貢献したわけです。

面倒くさいなぁ。男のエモーショナル・ポイント(心境の分岐点)って。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年02月24日

娘の彼氏のランク

年ごろの娘を二人持つ父親(我が家のとーちゃん)の心境を興味深く観察しています。

なにか深刻に考え込んでいるなぁ、と思っていたら、

「決めた! 娘たちの結婚の祝い金はランクをつける!」
「はぁ~?」

ちなみにAランクは300万(そんなにうちにあったっけ?)。
Bランクは200万で、Cは100万。

「へぇ~」
何を思い悩んでいるのかと思えば、それですか?

でもって、現在長女がつきあっている彼は、C以下だそうで、「ゼロ」だって。

あのさ~、かつては、あんたも私と結婚するとき、同じこと思われてたかもしれないんだよ! 私の父に。

確かに、父は結婚が決まってからも、家に来るという日に限って家に帰ってこなかった。

仕事が忙しくて徹夜だとか、まぁ、その時その時でいろんな理由があったみたいでしたが、私としては、なんだか寂しかったことを覚えています。

あの頃は、父の気持ちにまで思いが至らなかったけど、とーちゃんの様子を見ていると、今になれば理解できるような気がする。

しかしねぇ、まだ娘たちは結婚も決まったわけでもないんだよ。
結婚する、なんてことになったら、どーなっちゃうだろう???

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年02月10日

奥さんを名前で呼んでいますか?

奥さんを呼ぶとき、どこぞの作家ではないのに「おい」なのよね、と話しだしたのはサークルの仲間だ。

にこにこしながら「私は“おい”さんじゃなくて、貴美子という親がつけてくれた立派な名前があるのよ」と40代の頃思ったそうだ。

「じゃ、50代になったら?」と思わず聞くと

「“おい”と呼ばれたら返事をしないことにしたのよ」と淡々という。

「じゃ、“おい”にあなたの返事がなかったらご主人は “貴美子さん”と言い直されたの?」と重ねて聞く。

「いいえ、返事をしないと主人は何も言わないのよ」という答え。私は彼女の顔を見て噴き出す。

そして彼女が古希を迎えたことを知っているから、「今は?」と重ねて聞くと、「相変わらず“おい”。私も返事をしないのよ」と彼女、特有の長閑な返事だ。

そして、「最近ね、私の方が絶対長生きだと思うようになったわ。だから、主人に“世話して貰う時になったら、私の名前、忘れると困るわよ”と言おうと思って」という彼女の言葉。

世の中の男性諸氏よ、人生って長いんです。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2009年01月29日

Change Your World!

同業者の男性が二人ばかり、たて続けにウツになった。

まあ、本人が愚痴まじりに申告している分にはまだ軽症なんだけど、一人には真面目に「病院に行ったほうがいい」とすすめたくらい。

どちらもいわゆる自由業。時節柄、最近事務所をたたみ、職住一致をはかって間もなくのこと。とたんにやる気が失せたり、集中力が続かなくなったり。家庭内の雑音(?)を、なぜかモロにかぶっちゃうのね。

それと、共通するのは、外出が億劫になることらしい。ヘタすると一日誰とも口きかなかったり。そりゃそうだよね。話しかける理由がなきゃ、奥さんとだって、会話する気もないわけだから。


思うに、男の人にとって、通勤時間というのがどれほど重要な意味を持つか。家庭があり、仕事場があり、その間にいくらかの時間なり距離があって、そこで切り替えを行うわけ。ほんの少しでも景色そのものが変わらなくちゃ、仕事モードになれない。帰り道もそう。赤ちょうちんのワンクッションがあって、ようやく家庭に足が向く。

その点、女は切り替え早いよね。というより、軽い。浅い。家事、仕事、家事、家事、仕事、家事、仕事。もうパチパチやれる。ウォーミングアップの時間なんか、わざわざ持っていられない。集中力が切れたら、近くのコンビニでもいいや、ちょっと出かけよう。電話かけなきゃ、何作ろうか、灯油あったかな。そのくらいで気分を切り替えられる。勤めていたって同じ。帰りの電車で考えるのは、晩ごはんの献立と明日の朝の段取り。


そういえば、年を取ってクレイマーになる男たちの話もいくつか聞いた。「昔は気持ちよく一緒に仕事ができたのに」と、外注元の担当者がこぼす。

若い時分に「自分にはこれしかできないッ」なんて突っ張ることもあるけれど、ある程度経験を積めば、それなりに何でもこなせるようになるでしょう。むしろそれを面白がる度量も出てくるはず。なのに、こだわりだか専門だか知らないけれど逆に妙に頑なになる。できないだの、無理だの、あげくに、思い通りにいかないと怒り出したりして。


定年退職した夫と妻の葛藤もそこにあるのかも。


女は見境がないとか感情的だとかいうけれど、やっぱり根本的に脳の構造が違うのね。すなわち右脳と左脳の間の橋の太さの違い。男はけっきょく出不精。外にも出たくない、自分も出したくない。理性と感情は付き合いを拒み、左右の間の橋はぷっつり切れたまま。

無意味なお出かけ、無駄なおしゃべり、いいじゃないですか。こんなご時勢だもの。


男の人よ、街へ出よう。書は捨てなくてもいいから。

変化のない日常の中にこそ変化を見出そう。

それがChangeですぞ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2009年01月23日

掃除機

家電製品にも寿命があるようで、昨年は冷蔵庫、ガスヒーター、給湯器と次々にご昇天。
せっせと量販店に通いました。

最近の電化製品はすばらしい!
テレビのCMで見てはいても、実物を見ると、これは感動もので、一人ではしゃいでいました。

いざ、購入するとなれば、現実を顧みず「ちょっとでもいいものを…」

当然、価格にも反映してくるけれど、そこは、交渉上手のとーちゃんにまかせて、我が家は機能100%使いこなせない家電製品が一挙に増えました。

暮れには掃除機も購入。
これについては、「買うぞ!」と決めて、自分でカタログを見比べ、お店に足を運び、カード決済のときだけ、私が呼ばれました。

というわけで、暮れの掃除は何とも楽しそう~にガーガー掃除機かけていました。

年があけて、正月休みが終わっても、毎日帰ってくると掃除機かけています。
でもって、かけ終わると「布団もこれで安心だ」「ソファーカバーが蘇った」とひとしきり解説をして、何とも満足そう。

自分で納得して買ったものだから、何か不都合があっても文句もいわずにせっせと掃除機かけ。
しばらく続くことを願う私です。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2009年01月07日

カビた餅

昨日の移動が祟ったのか、朝から、胃の調子の悪そうな夫。少し心配だが、放っておく。

午前中の仕事がまだ半ばの10時半になったら、「食べるものはないか、腹減った」ときた。

食べ物はあるともないとも言わないで「うふふ」とだけ、応える。

「そうだ、餅が残っていないか」とまた話しかけてくる。

こちらは午後の会議資料の見直しが佳境に入っていて、

「カビが生えて表面が実に華美?華やかになっております」

と顔をむけずにシャレをいう。

「いいさ、ちゃちゃと削ってくれれば食える」

ちゃちゃと削る人はだーーれ??

午後、私が会議だと知っているはずなのに・・・これ以上、別の行動と言動は無理。

ついに私が動かないので、台所に行って華美?な餅を焼き、持ってきて「こういうのを食わせないから、調子が元にもどらんのだ」とのたまう。

昼食にはヘビでも焼いてやる!!

と言いそうになったが、ヘビ料理などしたことは一切ない。ああ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2008年12月17日

がむしゃら草むしり

河川敷の野球場の整備(草取り及び石拾い)に借り出された夫が、帰ってきてこぼす。

同じグランドを使うチームから、何人かずつ参加するらしいのだが、女子(?)チームももちろんいて、それが作業しながらもう、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、なんですと。

女子草野球チーム、あるいは女子ソフトボールチームの、まあ、いわゆるおばちゃんたちですね。もう、のべつ幕なし、しゃがんで草むしりながら、するフリしながら、ずっとしゃべっている。手なんかほとんど動いてない。フリです。もう目に見えるよう。

男子はといえば、これが見回すと、黙々と作業している。むしろ一心不乱な感じ。しゃべる暇なんかない。仲が悪いってわけじゃない。熱中しているんです、草取りに。

「なんで女ってああいうとき…」と言い出すから、

「そりゃ違う」。

だって、彼女らは草取りに来たわけじゃないんですから、一緒にしちゃいけません。

もともと目的はそっち(ぺちゃくちゃ)だから。

「えっ?アナタも行くの?じゃ、じゃ、アタシも」って。

しみじみ思うに、男はエライですよ。草むしりだって何だって、それ自体を目的にできるわけだから。夫を見ていても、庭仕事なんかやりだすと止まらない。どんどこどんどこ。同じ格好で、同じ姿勢で、手だけ動いているのに、ちゃんと動いていて、明らかに周辺の更地は増えている。なんかこう、時系列的にコマ送りで見せてもらって、感動するもの。

男の人って、なんでも目的になってしまう。というか、与えられた課題にあまり疑問をはさまない。「どーして、こんなことしなくちゃいけないの?」って、よく女がいいがちなことを微塵も思わない。草取りは草取りだ。それだけだ。今日中だ。いや午前中までだ。しゃべってる暇なんかあるか。何やってんだー。

いや、それも違う。そんな大きい範囲でもない。草むしったり、石拾ったり、むしろそうした一連の動作を繰り返すこと自体が目的だったりする。頭脳(の一部)と身体とが、無駄なく連絡し合い、いかに迅速にルーティンできるか。それに血道をあげる。「何のために」なんて考えない。ホント、頭が下がります。

女は無理だと思う。マテリアルライフだから。作業の先に何かがなければ動きません。何のためにグランド整備をするか理解するつもりもないから、おしゃべりを目的にする。草取りはコミュニケーションよ。すべてが井戸端会議よ。ランチは大事よ。決して熱量供給ではないの。

「気が知れない」は、やはり男と女の永遠のテーマですね。鉄ちゃんもそうだけど。何が楽しくて意味なく乗り鉄。まあ、そういうのも嫌いじゃないけど。というより、見ている分にはむしろ面白いけど。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2008年12月10日

いい人辞める

地方在住者は車がないと何もできない。だからおとなはたいてい一人一台もっている。

しかし、今夜は飲み会となると、朝から仕事場まで飲み会参加者=夫を乗せていくシゴトが発生する。

今朝もそうだ。

先週から、夫の仕事に合わせて予定を組んだが、直前でスケジュールは1時間繰り下がった。この1時間繰り下がりに私の予定を合わせると、夕方の忙しさは倍増する。

“困ったな”とこちらは思っても夫はどこ吹く風だ。

意を決して、予定通りの時間に送っていくと宣言した。1時間くらいどこかでつぶせばいいでしょ!、12月は忘年会シーズンだし。

不満げな夫を助手席に乗せ、走り出してから「これからは、ドタンバの変更を受け付けません、いい人演じて“合わせる”からストレスが溜るのだわ」と吐きだした。

聞こえているはずなのに、返事がない。イライラして運転するとぶつけるから黙っていたら、

「いい人はきっと辞められないんだよ」とポツリ。

絶対に辞めてやる!!

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2008年12月03日

ファミレス讃

自宅作業が一段落して、近くのファミレスで遅い昼ごはん。

ガラガラの店内の一角に高らかに響く笑い声。

30代の主婦5人組。小学校の子供の母親たちらしい。ランチはとっくに食べ終わり、飲み放題のソフトドリンクもかなり杯数を重ねている様子。


最年長とみられる真ん中の彼女の話が、かなり面白い。どうやら、話題は家での夫の生態。五目焼きそばを食べながら、耳は自然にダンボになる。


なんでも、自分が買ってきたお菓子を、子供たちが勝手に食べちゃったことに激怒するオヤジ。

「期間限定なんだぞッ、わざわざオレが買ってきたんだぞッ、て、たまたま見つけただけなのにねぇー」(爆笑)。


これも期間限定のキットカット(チョコレートですね)を、今度は子供に「食べていい?」と聞かれて、気前よく「いいよ」と答えたはいいが、全部食べられることを恐れたらしく、出勤前に残りをそそくさとかき集め、仕事用のカバンの中へ。「だったら最初に言っとけばいいじゃない、ねぇ」


で、聞いている主婦たちも口々に、

「なんでお父さん、そんなに小さくなっちゃうんだろうねぇ」

「小さいよねぇ、家の中で」


確かに小さい。どんどん小さくなっていく。

しかし、皆さん、身に覚えはありませんか?

30代で早くも固まるこの評価。


いやぁ、昼下がりのファミレスは、三行半ネタの宝庫ですね。

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2008年11月27日

見送るとーちゃん

春と秋で山陰が2回、夏に京都・奈良・大津と岩手。仕事ではあるが、新幹線や飛行機で出かけた「小旅行」。

末っ子が大学生になり、上の二人も独立した今年の春、「私は自分の思う通りに生きる」ことを決めた。

・・・といっても、家族と共有する時間は大切にするつもりだし、その気持ちはこれまでと、ちっとも変わっていない。

ただ、子どもたちの学校関係など(呼び出しも含めてですが)、これまでより規制される事柄が少なくなったので、自分の計画通りに”モノゴト”を運びやすくなった。

・・・というわけで、今日は山陰からの発信です。

とーちゃん?
もちろん、見送ってもらいましたよ。

「いつ帰ってくるの?」
「あさっての夜おそくだよ~」

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2008年11月19日

煙にまければ…

風邪をひいたかもしれない・・・という夫。

今月の彼は過密スケジュールが続いている。部屋にいる時は厚手のセーター、外出の時は億劫がらずに上着忘れずに、と言おうとしてやめた。

言ってその通りになった試しは皆無。

熱が出てきたらしくしきりに頭をふっている。そして、たばこをくわえる。

喉にも悪いし、風邪なんでしょ!!と言いたいのをこらえて、横眼でみて、静観。ついに、「風邪薬ないか」と言って私の方に煙を吐き出す。

黙って立ちあがりメモを残して台所にいく。

「喫煙者用の風邪薬は常備してません」

うひひ

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2008年11月12日

大きな掃除機、小さなラップ

掃除機を買い換えた。

ダイソンとまではいかないが、これがなかなか優れもので、特にヘッドが縦横斜めと自在に動き、吸引力も以前のものと比較にならない。

女手にはけっこう重いんだけど、メカニカルな使い心地が、夫は大層気に入ったらしい。

おかげで休日、私が不在のときも、嬉々として掃除機を駆使(今のところ)。


ところが、使い出すと今まで見えなかった隅っこの汚れやホコリがやけに気になるらしく、「廊下のアレはどけろ」だの「冷蔵庫の脇に○○が落ちていた」だの、あげくに「自分は気にならないのか?」とか「扱い方が雑だから家電も壊れる」とか。


あぁー、うるさい。


はいはい、掃除下手の妻を助けてくださるのはありがたいことです。けどね、今日も、くっついていたラップ。ラップですよ。

食べ残しの大皿にバカーッとかぶせるのは許すけど、なんで毎回くっついて、切り口が消えちゃうのか。CMでもやってるでしょう。クルックルッ○レラップ・・・♪。親指で押さえて、クルッとケースを回すだけなのに、なぜ?!


朝、弁当作りの途中でこれに出くわすと、ドーンとテンションが下がる。作業を中止してガムテープでペタペタ切り口探し。いっそ残りは鍋に移しといてくれと、何度言ったことか。


とどめは箸探し。寝る前に弁当箱を洗ってくれるのはうれしい、が、洗った箸はなぜか毎回、食器カゴの茶碗や皿の山の下に埋まってる。カゴの角にあるでしょうに、箸立てが。


部屋の隅のホコリより、ラップの切り口を!どうか弁当用の箸を!


(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2008年11月06日

「女房感謝フェアー」と「とーちゃん見直しフェアー」

ここ数カ月、いわゆる「五十肩」。しかも、左も右も一挙に押し寄せてきた。
もう、最悪状態の私。

天気がよくても、洗濯物を干すことすらできない。
重いものも持てない。ドアを開けるのも不自由。
何かと日常生活、特に、家事で不便をしている。

だって、無意識で手をあげたり、重いものを持ったりした途端、はんばじゃない痛みが瞬間で襲ってくる。
わめくは、泣くはの大騒ぎ。

医者の話では、「1年ぐらいかかるよ」。

最初のころは、「運動不足だ、血流が悪いんだ」と、つめたーい視線を送ってくれてた「とーちゃん」も、日を追うごとに、「Yシャツが足りない」「部屋が片付かない」と自身にも関係していることがわかってきたみたい。

そりゃ、サラリーマンのとーちゃんにとっては、2日同じYシャツを着ることも、帰ってきてモノが片付いていなければ、困った状態になったわけで。

というわけで、最近は、休みの日には、せっせと洗濯をし、掃除機をかけ、買い物にも一緒にでかけて、荷物を持つ。
というこれまでしたこともなかったことをやってくれるようになった。

まだまだ、痛みがあって何もできない状態の私だが、
「治ってもしばらくは、このままでいいかな?」と思っている。

少なくもと、医者の言葉を信じればあと、10か月はかかりそうだ。

だって、これまで「Yシャツ」は自宅クリーニングで勝手に仕上がってくるもの、買い物も「女房宅急便」が持ち帰るものと思っていたのが、いやいや、これはぜーんぶ、女房のおかげでしたと、少しは理解したみたいだもんね。

なので、我が家は只今「女房感謝フェアー」と、「とーちゃん見直しフェアー」を開催しています。

いつまで続くかなぁ。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2008年10月31日

健康診断結果は…

会社で定期的にして下さる健康診断って有難いと思う。

イヤ、昨今の健康保険財源から考えると、入院患者を支えるには、日頃から健康でいるように会社あげて気をつけないと、破綻をきたすから??だとも思うけれど。


で、すべての男性軍がそうではないと思うが、

その健康診断の前日は「禁酒」し、

午後9時までに夕食を終えて、

あそこがひっかかるかな…

という不安を抱きながら次の日、「でも今夜は宴会をするぞ」と心に決めてでかけていくもののようだ。メタボかとか言いながら。


その健康診断、夫は見事に健康センターの網につかまってしまった……。

結果は、高血圧です!

体重を落として下さい、
運動をして下さい、
減塩がいいです、
降圧剤を処方します、

だった。


さあ、大変、なのだが、ご本人はどこ吹く風。


運動など無縁のデスクワーク。いつも「頭の中で汗をかいているんだ」である。定期的に医者通いがあると言われても「仕事が忙しい」の一点ばりででかけていかない。

仕方なく血圧計を買った。

減塩の味噌と醤油も常備し、一人分の味噌汁やおかずはこれを使った。

けれど、味がないと子供のおかずに箸をのばし、血圧計はホコリはついても使われない。週末にはゴルフに行く、これが一番の運動だ、とのたまう。

呆れはてた私は、ゴルフ帰りの彼を車で迎えに行ってそのまま病院に直行。運動と減塩メニューを作って頂いた。

ゴルフはあなたの症状にとって運動したことになりません!

という医者の言葉にうなだれたが、帰りの車の中では、手帳を開いて、来来週もゴルフにいくぞ、これで運動はできるからな、だった。


運転中の私は思わず急ブレーキをふむ。低い声で言い渡す。

「あなたの健康管理はもうしない!!」

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2008年10月23日

南瓜の味

カボチャを煮ていて、またうっかり焦がしてしまった。

娘が帰ってきたら、きっとまた「あわてん坊」だの「落ち着きがない」だの非難されるから、先に黙々と食べ始めていた夫に、

「クレームがついたら、『これはこれで芳ばしい』と弁護してよ」と念押し。


娘が帰り、カボチャを一口。ガマンできずに「焦がしちゃったのよ」と自白すると、意外にも、

「これはこれで芳ばしくておいしいじゃない」。


すると夫が、

「そうだよな。うまいよな」。


そう思ってるんなら先に言えよぉ。


(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)

2008年10月16日

バナナを求めて

夫である通称「とーちゃん」は、結婚した日から今日まで、毎朝バナナを一本と納豆を1パック食べるのが「健康のもと」だと信じている。

妙なところに頑固な面を持っている人で、随分と苦労もさせられるが、とりあえず「バナナ」を食べればご機嫌は直ってるし、納豆があれば、おかずが少なくても文句は言わない。

というので、味噌を忘れてもバナナと納豆は忘れずに買い求めていた。

が~、ここ数日、スーパーに行っても果物屋に行っても八百屋にも、どこにもバナナが店頭から消えた!

ちょっと、これって我が家にとっては、いや、とーちゃんにとっては一大事なんだよね!

今日は、バナナを探してあちこち歩きまわった。

6店目のいつもなら、ぜーーったいに行かないお店にちんまりと山になっているバナナを発見したときは、「あった~」と声をあげてしまった。

思わず全部買い占めたい気持ちが湧いてきちゃいましたが、バナナだけは大量に買っても傷んでしまうし、1週間分だけを買って帰宅。

あ~、疲れた。
どんだけ歩いたか!

納豆の次は、バナナ。どれも我が家では欠かせないものだけに、メディアで無責任に言わないでほしいよなぁ、と帰り道、一人ブチブチ。

バナナでダイエットができるなら、うちのとーちゃんはとっくに骨と皮だけになっているもんね。

(おとな愉快団!「チーム三行半」いっけい)

2008年10月09日

私、振り込め詐欺に・・・

上京したついでに、移転する前に作った証券会社の取引口座を解約した。

わが町にはこの証券会社の支店がないし、オンライン証券の口座も持っているから。

証券会社の置いた残高を引き出し、持って歩くわけにはいかないので、隣にあったT銀行に入り、ATMで自分宛に送金しようとしたら、10万以内しか可能でないことがわかった。

で、振込用紙に書き込んで送金しようと、自分のS県にある通帳を出し書き始めたらロビーにいた若そうな男性の銀行員がつかつかとやってきた。

「お振り込みをされるのですか」

と職務?質問。

「ええ」

というと上から下までジロジロとみられる。

「ご本人を確認できるものをお持ちですか?」

あれっ? 自分の口座に送金するのに本人確認が必要?

と思いながら「免許証でいいですか?」と妥協して言うと

「はい」と鋭い目をして行員は答える。さらに、「当行に口座はお持ちですか?」

なぜ、くどくど聞かれなきゃならないの?と訝しい。

そして閃いた。

私は振り込め詐欺にあおうとしている哀れな“老女”と思われていることを。

確かに孫がいます!
お世辞にも若いと言えません!

でもね、免許証には私の名前と住所が記載されていて、私名義の銀行口座宛に、振込用紙に記入して処理依頼しているのよ!! 

もし仮に、息子や(大きくなって)孫が会社のお金を使い込んだり事件を起こして加害者になって助けてと言ったら、警察に出頭しなさい、と言い渡す気概のある私です。

戻って「もう、あの銀行員ったら・・」というと、

「いつまでも若いつもり、だな」という夫。

目の前の人も元ギンコウイン!

(おとな愉快団!「チーム三行半」u子)

2008年10月02日

放置洗濯機

20年使った洗濯機がついに壊れ、ドラム式に買い替え。

前の洗濯機は洗濯から脱水まで、手順が変わるたびにピーピー呼び出される介護式だったが、こんどはエコで手間いらず。取り扱い説明書と首っぴきで手順を覚え、快適な洗濯ライフがスタート。

ところがこれが、けっこうデリケート。とくに、糸くずには敏感で、ちょっとでも残るとピッピッ知らせる。先日も、私が出かけた後、呼び出しがかかったらしい。

なんのことはない。一回ドアを開閉して、スタートを押し直せば動き出すんだけど、帰宅すると、

「やっぱり、お母さんがいないと家は成り立たないなあ。お父さんじゃダメ。『お母さんに聞くまで放っておこう』だもの」

と、うれしいことを言ってくれる。すると、横で聞いていた夫。

「いや、そうじゃない。『お母さんだって放っておくだろう』と言ったんだ」。

なに?!

(おとな愉快団!「チーム三行半」こてちママ)