ブログ愉快団!

トップページ » カテゴリー: 連載エッセイ 天国よいとこ

2007年06月11日

連載エッセイ<天国よいとこ 15>

<天国よいとこ31>まるで天国みたいな奥只見の2日間

★地元のボランティア団体“富勢ふるさと協議会”スタッフの研修旅行に初めて参加した。メンバーはたぶん50~70歳代が中心。それにしてもみんなよく呑む。朝8時半にバスでスタートして、すぐ呑み始める。夕方只見に到着するまでアルコールが切れることは無い。夕方6時からは宴会、部屋に戻って2次会、つまり14時間も飲んでいる(皆さん、若いころに比べると体力は落ちていると思うが呑む方は全然衰えないようだ)。

★奥只見では、とにかくお蕎麦が美味しかった。山ばかりで田んぼや畑があまり作れない土地だ。痩せた土地でも蕎麦は育つ。只見は水が良い。だからどの農家も美味しい蕎麦を作る。山芋、わらび、ゼンマイ、大根おろし、天かすを盛り合わせた山菜蕎麦は只見の名物だ。私の味覚も老齢化してきたのか、昔はテンプラ蕎麦が1番好きだったのに、今回は山菜蕎麦を注文した。

★夜の宴会料理もナチュラルだった。地元の日本酒と川魚のてんぷらがメインのご馳走、それと、心のこもった豆腐料理、私は何十年か前のもてなしを受けたようで気分がよかった。酒が弾み、宴会の最後は全員立ち上がって“柏踊り”を踊った。

★翌日の“田子倉ダム”見学も大好評!こんな山奥のダムで生まれた電気が、山を越え、川を越えて送電線で運ばれて、柏の我が家の電灯がついているのだと思うと不思議な気持ちになった。

★電気を見つけ出した人は誰だろう? こんな目に見えないものを、よく見つけたもんだ。もしかして、“近代的魔法使い”かも知れない。その彼のお陰でこの50年間、下界の生活は飛躍的に便利になった(電灯、冷蔵庫、テレビ、電話、パソコンみんな電気のお陰で動いている)。

★わたしはこの旅行中幹事の手伝いをしたので、2人の幹事と親しくなった。柏に帰ってきて、幹事ご苦労さんパーティーをやったときMさんは“この只見の2日間、みなさん現実の柏の生活のことを、ほとんど忘れてしまって、天国で暮らしたような気分だったのでは?”と言った。私もそう思った。

-----------------------------------------------------------------

★私が小学5年まで育った田舎は新潟県東蒲原郡津川町、つまり只見町のちょうど裏側だ。県境の山は御神楽岳、私はこの山を見るたびにあの山の向こうには何があるのかな? と思っていた。当時高校2年の姉は“山のあなたの空遠く、幸い住むと人は言う”(カール・ブッセ)と教えてくれた。それが<奥只見>だったのだ。

★只見川は尾瀬沼から流れ出している。そして会津で阿賀野川となり、新潟県の山奥を流れて、新潟湾に出る。私の故郷津川町は阿賀野川下流の港町、水は青々として冷たかった。手ですくって飲むと美味しかった。尾瀬から流れ出した水だったのだ。

★尾瀬の山奥で嵐で樹が倒れて、それが只見川に流されたとする。曲がりくねった川のあちこちで岸の岩にぶつかり、枝は折れ皮は剥がされて新潟の海岸に打ち上げられる頃には、干からびて角が丸くなり、お茶席の床の間に似合うようにな流木になっているかもしれない。

★私の人生を流木に例えてみると、私はすでにかなり下流に近い。川もゆるやかに流れている。まだ、角が取れて人間が丸くなったとはいえないが、今回の奥只見の2日間は良い旅行だった。私をナチュラルにしてくれた。

★私も、少しずつ、天国に近づいているのかなあ?

(文:ピータローさん)

2007年05月01日

連載エッセイ<天国よいとこ 14>

天国の北大路魯山人と私の父

★私は北大路魯山人という陶芸家が大好きだ。カレは京都に生まれ、若い頃は商店の看板を彫る職人であったが、料理への関心がだんだん深くなり北陸、新潟、秋田などの旧家へ出向き、居候してその土地の食材や調理方法を学んだ。自分なりに工夫した料理を御世話になった旧家のご主人にもてなして喜ばれ放浪の旅を続けるうちに、料理人としての腕を磨いた。

★当時、赤坂の日枝神社の近くに"星ケ岡茶寮"と言う料亭があり、近衛首相なども利用していたらしい。魯山人はそこの料理長に招かれて、腕をふるった。

★魯山人は、例えば予約客から"名月の夜にふさわしい最高の宴会を"と頼まれると料理はもちろん、その料理にふさわしい食器を探し思ったようなモノが見つからないと自宅の窯で焼いてきた。床の間の花瓶もその夜の花にふさわしいものを、自分で作って持ってきた。その夜の料理を運んでくる女中さんの前掛けも、その料理にふさわしいように生地を選んで作らせるほど"コリ性"だった(つまり自分の作った料理をいかに美味しく食べていただくか?カレはそれだけを考えていた)。

★カレのお陰で星ヶ丘茶寮は"東京一の料亭"と評判をとったが魯山人のあまりのワガママにオーナーと意見が対立して、ついに解雇されてしまった。晩年のカレは、北鎌倉に陶器の窯を作り陶芸一筋の人生を送った。食器は後の時代にも残るが、料理の味のすばらしさは、それを楽しんだお客さんがいなくなってしまうと評判も消えてしまう(それで現在魯山人は"料理人"としてではなく"陶芸家"として評価されている)。

★魯山人はいま陶芸家として高く評価されているが本人は晩年、料理の腕をふるうことも出来ず、気むずかしい人だったので奥さんにも恵まれず、さびしい後半生だったようだ。

★私は父が百科事典の編集の責任者だったので、星ヶ丘茶寮に事典の原稿を書いていただいた大学の先生方を"貴重な原稿をありがとうございました"と接待していたので、毎月茶寮から案内状が来ていた。それを見て私は魯山人に興味を持った。

★ 魯山人の作品展を見たり、伝記などを読んだりしてますます好きになった。ほかの陶芸家はまず土(原材料)にこだわり、その土に惚れるとその土地に住み、いろいろな陶器を作るが、それがどのように使われたか? については関心が薄いように思う。私が魯山人を好きなのは"料理を美味しく食べていただくための陶器"と目的がハッキリしているからだ。

----------------------------------------------------------------------------------

★魯山人は天国に行って、いま、どうしているだろうか? たぶん鎌倉の天国へ行ってまた、鎌倉の土で陶器を焼いていると思う。しかし、天国に行ったら、また料理に対する情熱が燃えてきて、鎌倉のお寺の和尚さん達を招いて、いろいろお食事会をやっているのではないか?

★魯山人はもともと放浪癖がある。仏さまになってもなかなか直らないだろう。天国のルールでは、お坊さんだけは"キント雲"に乗って、どこの天国へも飛んで行ける。魯山人は親しいお坊さんのお供として"キント雲"に乗せてもらい、各地の食材を、カレなりに料理してその土地の土で陶器を焼き、招いてくれたその土地のスポンサーにご馳走して、喜ばれているのではないだろうか?

★魯山人は天国に行った方が料理と陶芸、両方やれるので下界にいた時よりもずっと生き生きしてくる。そして鎌倉に帰れば、天国の女性の仏さまは下界の女性より心が広いので、気むずかしく、怒りっぽい魯山人にも"ベターハーフ"が出来て幸せな毎日を送っているかも知れない。

★私の父はジャーナリストとして"さあ、これから良い仕事が出来るぞ!"と思った時期に、45才のときに交通事故で他界した。私は5才だったので、父とお酒を飲んだことが無い。

★魯山人さん、こんどあなたの鎌倉のお食事会に"私と父"を呼んでくれませんか? 父は何十年ぶりであなたの料理を食べて、きっと喜ぶと思う(もうじき、父が死んで60回目の命日だ)。

2007年03月28日

連載エッセイ<天国よいとこ 13>

天国の銀婚式ペアーリング

★私は下界ではいろいろな女性とおつきあいがあったが、天国に来てから10年にもなるとお付き合いして25年、“銀婚式”を迎える女性もいる。何かプレゼントでもしなくてはと思う。下界ではいろいろ面倒をかけたのだから、せめて天国では何かお返しをしなくては!

★私の恋人たちはたぶん天国に来るのは私より遅い。もしかしたら10年後かも知れない。その時がお付き合いして25年目かもしれない。

★私が下界にいたころは、毎日の生活に追われてとても過去にお付き合いした女性との銀婚式プレゼントまでアタマがまわらなかった。

★いま、もし天国に来てくれるなら“銀婚式ペアーリング”をプレゼントして、これからの天国生活<ペアリングしない?これから二人で仲良く暮らそう!>と言いたい女性がいる(でも、こればかりは天命なので、私が希望してもお付き合いしてちょうど25年目に天国へきてもらえるものかどうか?)。

★仮にその女性の名を“みどりさん”にしよう。みどりさんはマンションに住んでもテラスでガーデニングするような心の優しい女性だ。とにかくグリーンが大好きだ。私が彼女に“銀婚式ペアリング”を贈るとしたらエメラルドだ。しかも二人のこれまでの愛情を考えるとハート型のカットが良い(ハート型のエメラルドは非常に少ない。でも私はそれにこだわりたい。私たちの下界でのおつきあいの愛の深さを考えると、そうでなくては彼女に申し訳ない)。

★天国ではエメラルドは手に入りにくいが、私の生前の秘密コレクションにハート型のエメラルドがある。彼女のためにそれを下界から取り寄せて“銀婚式ペアーリング”を作ろう!彼女が天国に来たとき、私が出迎えに行って、長い間、貴方が天国に来るのを待っていました。そのシルシがこの銀婚式ペアーリング、貴方の好きなエメラルドです。私とペアーしてくれますか?

―――――――――――――――――――――――――――――

★私は下界では30年もジュエリーの世界にいた。数多くの女性にジュエリー販売をしてきた。“ジュエリーの販売とは、女性に夢を売る仕事だ、だから私もいつも女性への夢を持ちつづけなければ”そんな奢った気持で過ごしてきた。

★しかし、私はサラリーマンだったのでお金に余裕が無い。お客様には高価ジュエリーをオススメしていても、自分の彼女に高価なジュエリーをプレゼントしたくても出来なかった。

★彼女が私に求めていたのは、金額の大小ではない。私の本当の気持がどれほど強いものか?それだったのだ。本当に彼女を心から愛していたのなら小粒でもよいから、彼女が本当に欲しいジュエリーをプレゼントすべきだったのだ。

―――――――――――――――――――――――――――――

★天国で、みどりさんに言われるかもしれない。“銀婚式ペアーリング”貴方がそれを用意して私が来るのを待っていた、その誠意はわかるけど、ちょっと遅すぎたわ!私はもう、あの頃の私じゃないの。

★私の今の心境は、せっかく天国へ来たのだから、しばらくは“銀婚式”とか“スイートテン”(お互いに熱く愛し合っていた結婚10年間の想い出の記念ジュエリー)とか下界のルールは忘れてノンビリしたい。ピータローさん、貴方のご好意はわかるけど、しばらく私を自由にして!

―――――――――――――――――――――――――――――

★そんなわけで、私の用意した“銀婚式ペアーリング”はムダになりました。

(おとな愉快団!ピータロー

2007年03月20日

連載エッセイ<天国よいとこ 12>

天国はクルマ、電器、TVの無い世界

★私は下界では珍しいが運転免許を持っていない。青年時代、周りのみんなは免許を取ったが私はお酒が好きだったので、免許を取るのはやめた(誘惑に負けてきっと飲酒運転をするだろう、と思ったのだ)。

★女房やコドモには恨まれた。近所の家庭ではクルマがあるのでキャンプや観光旅行に行ける。買い物もクルマがあれば家族一緒に楽しめる。うちのお父さんは家族のことを考えていないと非難された。その反動なのか長男は高校時代からバイクに興味を持ち18才でクルマを買って家族サービスをしてくれた。

★天国にはクルマが無い(禁止されている)。ガソリンも無い。クルマが走れる道路が無い。柏のメイン道路は水戸街道だが、道幅は馬車がすれ違い出来る程度の幅で舗装もされていない。道路は歩行者と自転車のためのものだ。十字路にも信号は、無い。お互い気を付けて渡れば交通事故など起きない。戦前或いは昭和20年代の柏は、近所の誰もクルマは持っていなかった。どの家庭も“自転車生活”だった。

★天国へ来てみるとクルマの騒音は無い。排気ガスも無い。とにかく道を歩く仏さまはみんなノンビリ歩いている。私が自転車に乗るのは、市役所前広場の日曜朝市に行くとき、オジサンの田圃や畑に手伝いに行くとき、テニスコートに行くとき、それと月に1度、サカナを買いに銚子に行くときだけだ。市役所まで自転車で35分、ふだん家でゴロゴロしている私には、ちょうど良い運動だ。

―――――――――――――――――――――――――――――

★下界ではいろんな電器製品を使っていたので、天国に行ったらさぞ不便だろうと思っていた。が、天国の市営住宅は屋根にソーラー発電があり自宅で使う電器はほとんど使える。私の場合、電灯と、冷蔵庫、洗濯機、電気釜、電気コタツはそれまで住んでいた仏さまが残していってくれたので、必要無かった。

★私が下界から取り寄せたのは、レコード・テープ・CDがどれでも聞けるステレオとパソコンだけである。下界には“ヤマダ電器”のような大型電器店があり私も随分いろいろ買ったが、あれはTVなどの宣伝に踊らされて不必要なものまで買っていたのではないだろうか?と反省する。

―――――――――――――――――――――――――――――

★天国にはTV放送が無い。天国には膨大なTV放映料を払って宣伝するようなスポンサーがいない。その宣伝を見てモノを買うお客さんもいないので、TVがビジネスとして成り立たないのだ(下界からTV受像機を取り寄せても、何も映らないから意味がない)。

★天国に行ったら毎日が日曜日で、家族もいなくて新聞もTVも無かったら、ヒマでヒマでしょうがないのではないか?と思っていた。しかしよく考えてみると、平日の昼間のTV番組はほとんど“ワイドショー”、“クイズ”、“スリラー”、“国会中継”、“大相撲”などで、私は見たい番組があまり無かった。<ニュース>も天国へ来てみると、あまり関係ないニュースが多くて、見る気がしない。

★結局、私がよく見ていたのは“タイガース”と“囲碁”が主であり、天国に来てTV番組が無いといっても、どうでもよい番組が多かったわけだから、だんだん“TVを見ない天国の暮らし”に慣れてくる。戦前の日本にはTVは無かった。ラジオもあまり聞かなかった。近所の家庭もそうだったから、別に我が家だけが世の中から置いてきぼり、と言うヒガミも無かった。

★戦後日本ではTV、新聞、雑誌、パソコンなど“情報”が異常に発達した。それが果たして私の生活を本当に豊かにしてくれたのだろうか?

―――――――――――――――――――――――――――――

★戦後の日本は敗戦からいち早く立ち直って、欧米諸国の文化レベルに近づく努力をした。私も自分の所属する分野(時計とジュエリー)で世界に通用するレベルを目指して頑張った(おかげで会社から日本人の平均給料ぐらいは貰った)。

★しかし、現在のように下界のことも、天国のことも、スナオに考えられるようになってみると今の暮らしが戦前の暮らしよりもずっと良くなったとは言い切れない。天国の神様から、“ピータローさん、あなたが下界でやってきたことは、どんな<イミ>があったの?”と言われると、ヘンな気分である。

★私が老年になったせいかもしれないが、天国の生活のほうが自然で、ゆったりしていて、私には過ごしやすい生活のように思える。

(おとな愉快団!ピータロー

2007年02月08日

連載エッセイ<天国よいとこ 11>

京都のお庭と大ロマン

★私は京都が大好き! 特にお庭が大好きだ。30代の時、転勤で3~4年京都で暮らした。休日にはいろいろお庭を見て回った。

★特に好きなお庭は嵐山の「大河内山荘」と大徳寺の「高桐院(こうそういん)」。

★時代劇のスターだった大河内伝次郎さんは、映画の撮影が太秦だったので、近くの嵐山の小高い丘を買い取って、それを自宅にして丘全体を庭にした。彼はコドモに恵まれなかったので一生の収入をすべてお庭につぎこんだようだ。

★京都市内を一望出来る丘の中腹に芝生庭園を作り、お茶室を立ててそこで奥さんと二人でイッパイやりながらお花見をしただろう! 自分の死後のお墓のつもりで持仏堂も建てた。そこへ行く露地は両側に竹を土に半分埋め、歩くところには白砂、優雅な小道だ。(伝次郎さん自身のアイデアのようだ。)

★彼の死後、お庭の維持費があまりにもかかるので、奥さんは「大河内山荘」として一般開放したが、観光客が多すぎると庭が荒れるので、京都のガイドブックなどには場所を知らせず、拝観料もほかより高くして、本当にこのお庭を愛してくれる人だけに開放している。

★高桐院は細川ガラシャ夫人の菩提寺。大徳寺はお寺の団地のように沢山お寺があるが、高桐院はあまり一般には知られていない。女優の岩下志麻さんが篠田正浩監督と結婚したときの会場がこのお寺だ。

★ここのお庭はとにかくカエデの青葉と、コケの緑がすばらしい! 5月頃、太陽の光がカエデの青葉のフイルターの間から入ってきて、お庭全体に見事に生えたコケが、お寺さんの心を込めた打ち水で水玉が光り、木漏れ陽に反射して光る! 最高のお庭だと思う。

★戦国時代、夫の細川忠興公が出陣しているスキをついて敵に襲われたとき、ガラシャ夫人は身の純潔を守るため自決した。戦場から帰ってきてそれを聞いた忠興公は涙が止まらなかったと言われる。

★私は高桐院を訪れたとき、お二人のお墓に参るようにしている。忠興公は、当時一流の茶人、一方、ガラシャ夫人は、当時異端とされたキリスト教徒だ。二人は全く違う世界を持ちながら、細川藩という大切な国を預かりお互い相手を理解しながら仲良く暮らしていたのだ!

★高桐院の住職がこの二人を結びつけた。(お二人の墓が仲良く並んでいる。)

★後から天国に行った忠興公は、待っていたガラシャ夫人と出逢って、さぞ、嬉しかったと思う。天国では、もう、家来や知行地の心配も無く、忠興公はお茶の、ガラシャ夫人は信仰の毎日で、楽しく暮らしたと思う。

★数百年前の京都の大ロマンである。(うらやましいな!)

(おとな愉快団! ピータロー

2007年01月09日

連載エッセイ<天国よいとこ 10>

新宿ステレオホールのダンサーが天国に行ったら?

★<新宿ステレオホール>は社交ダンスファンなら誰でも知っている名門ダンスホール、創立は50年以上前である。私は47年前から、このホールで踊っている。(先日も踊ってきた)ここに<Kさん>というダンサーがいる。私が25才のころ知り合った。たぶん私と同年代だと思う。

★<Kさん>は私のダンスの先生である。私がダンスの覚えたてのころ、親切に教えてくれた。アマチュア同志のダンスパーティーで私が覚えたてのステップを試して、相手の女性に嫌われて自信を失ったときなどに、<Kさん>と踊るとうまくゆく。つまり、<Kさん>は上手な人には上手に踊り、下手な人にはそれなりにレベルを合わせて踊ってくれる。口数は少なくあまり派手なドレスも着ないが、心の優しいダンサーだった。

★私はマンボとジルバが大好き! このダンスは男性が自由に遊びながら楽しめる。<Kさん>は私を自由に遊ばせてくれた。(他のダンサーから、ピータローさんは<Kさん>とマンボを踊っているときが一番楽しそうね! と言われた)一方、タンゴやワルツなどキチンとしたダンスの時は、貴方は猫背ですよ、綺麗な姿勢で踊らなきゃダメよ、とアドバイスしてくれた。

★転勤で大阪に15年いたので、ステレオホールにはご無沙汰してしまった。東京に戻っても、結婚して子供が4人いたのでオコズカイが少なく、あまりホールには行けなかった。40代後半に管理職になり、多少交際費を使えるようになったので、お客さんを連れて、また、通うようになった。<Kさん>は昔と全く変わらず、私の相手をしてくれた。彼女と踊ると、なにか心が休まる思いだった。

★年金生活になると、定期は無くなり東京に出かける機会が少なくなった。今では、1年か2年に1度しか行けない。

★<Kさん>と私は、たぶん同じころ天国に行くのではないか? 昨日見たらさすがに顔にシワが出てきた。(ダンスホールは照明が薄暗いので、これまであまり気が付かなかった)しかし、私も顔中シワだらけ、お互いさまだ。彼女は若い頃1度結婚したらしいが、私に来る年賀状の名字はずっと変わっていない。つまり独身で<ダンサー>としてこれまで生きてきたわけだ。これまで御世話になったお客様が老齢化して、どんどん少なくなって行くのが淋しいとボヤいていた。

★私は先日、<Kさん>とつきあって以来初めて、ピンクトルマリンのネックレスをプレゼントした。(おつきあい47周年の記念です)大変喜んでくれた。二人で食事に行ったら、まるで古女房のように私の飲み物や食べ物に気を配ってくれた。(うれしかった)

★<Kさん>が天国に来たら、私がお出迎えして天国のダンスパーティーにお誘いしましょう。天国のルールでは、男性も女性もみな独身である。もう、扶養家族もいない。病気やお墓の心配もいらない。<Kさん>もダンサーをやらなくとも、天国では暮らしの心配は無い。好きな人と、好きなように踊ればいいのだ。

★<Kさん>は一見クールな女性に見えるが、天国に来たら気分が変わって情熱的なダンスを踊るかもしれない。(私はそれを期待している)「<Kさん>、天国ではおたがい自由な立場です。今日は楽しくマンボでも踊りましょう!」

(おとな愉快団! ピータロー

2006年11月21日

連載エッセイ<天国よいとこ 9>

柏の天国のテニス&ビール仲間

★私は49才のとき、柏市に家を買った。私は若いころ、詩や演劇や新聞編集、労働組合活動、社交ダンス、囲碁などが趣味で、スポーツは何をやってもダメ、つまり「スポーツ下手」だった。

★しかし50才近くになって何もスポーツをやらないで、休みの日には朝から酒を飲んでいるのでは健康に良くないと感じて、近くのテニススクールに入った。
入ってみると中年のオジサンやオバサンが多くて、中年を過ぎてテニスを始めた人が多かったので下手は下手なりに友達が出来た。

★スクールだけだと練習ばかりでゲームの楽しみが無い。そんな意見が多かったので自主的なサークルを作りゲームをやったりテニス大会をやった。テニスで汗をかいた後のビールは特別うまいので、反省会も多くなった。時にはバーベキューをしたり手巻寿司をやったり、クリスマスパーティー、泊まりがけのキャンプもやり、だんだん仲間が増えて現在60名近くになっている。

★私は柏に住んで17年、飲み友達はお隣の農家のオジサンただ一人だ。(東京で会社の連中とばかり飲んでいた)しかし、停年になってみると、忘年会も新年会もお誘いはゼロになった。テニス仲間は会社も停年も関係ない、これまでと同じようにつきあってくれたので私は救われた。

★私はこのクラブの会長を17年間やった。テニスクラブは一般にテニスの上手な人がリーダーになるが、下手な人はリーダーのやることについていけずに、仲間が分解することが多いようだ。たまたまクラブの中で一番テニスが下手な私が会長をやったので、下手な人の気持ち、試合で負けた人の気持ちがわかり、メンバーも増えたのでは? と思う。

★ところで天国に行ったら、テニスコートはあるか? 天国にはコンクリートがないのでコンクリートコートは無い。人工芝コートもたぶん無い。結局、手間をかけて天然芝のコートを作るしかない。たぶんいまのテニス仲間たちなら天国に来たらまず私に連絡し、私の市営住宅の近くに住んでくれると思う。仲間が増えたら、天国の柏市長さんに、自分たちでテニスコートを作りたいので土地を貸して欲しいと頼めばOKになるだろう!(もちろん、コートの脇には、バーベキューコーナーを作る)

★天国に行ったら「テニスが上手くなるだろうか?」(私はそう願っているが)
天国のテニスの先輩の話では、「そんな訳にはいかない」と冷たい返事だった。天国にはテニススクールもテニスコーチも無い。下界で下手だった人が天国へ来て、練習もしないでいきなり上手くなろう、それはムシが良すぎる!

★では、テニスが下手な人は、天国に行ったらテニスを止めてしまうだろうか? そんなわけは無い。天国は下界の定年後の生活よりもずっとヒマがあり、しかもそれが無限に続くのだ。下手は下手なりに仲間を作るものだ。特に下界から「新仏さま」が来たら、「私達のテニスコートに来ませんか?」と誘う。(特に女性は大歓迎!女性が増えると、コートが賑やかになるし、バーベキューも美味しくなる!)

★ゲーム中、親しい仲間でも「アウトか? セーフか?」でもめることがある。「Aさん、Bさん、そんなことは、どうでもいいじゃないか! ほら、ビールが冷えているよ! クラブハウスに戻って、一緒にイッパイやろうよ!」

(おとな愉快団! ピータロー

2006年11月07日

連載エッセイ<天国よいとこ 8>

柏の天国のパリー祭(芦野宏さんの思い出)

★私は20才のころシャンソンが好きになった。新宿歌舞伎町の「ラ・セーヌ」というシャンソン専門喫茶店に、原 孝太郎というシャンソンに惚れ込んだミュージシャンがいた。カレはヴァイオリンを弾きながら、いろんなエピソートを話しながらシャンソンを聞かせてくれた。(今はもう、この世にいない。たぶんパリの天国に行っているだろう)

★中年になってデパート向けに、ヤングに人気のあるファッションブランド「ジャン・ポール・ゴルチェ」のパリ本店を訪ねたことがある。「ゴルチェのジュエリーをやらせてもらえませんか?」(条件が合わず、ダメだった)その帰りにゴルチェのスタッフに「せっかくパリに来たので本場のシャンソンを聞いて帰りたい、どこでやっていますか?」

★パリのシャンソニエ(シャンソン専門のホール)はみなつぶれてしまった。現在は観光客向けのシャンソニエが1軒だけモンマルトルにあるらしい。私はガッカリした。日本で安保時代に流行した「歌声喫茶」が現在無くなってしまったように、パリでもシャンソンの灯が消えてしまっていたのだ!(現在パリのヤングの好みは「ジャズ」だと言う)

★その後、前橋や宇都宮のホテルで「ジュエリーフェア」をやったとき、日本のシャンソン歌手の草分け、芦野宏さんをお呼びした。カレは「万年青年」でフェアに来た中年のお客様を楽しませてくれた。カレは油絵も得意だ。二科展入選のレギュラーだというから、絵のほうでも「プロ」だ。渋川の<シャンソンミュージアム>でカレの絵を拝見したが、パリや避暑地(たぶん地中海のコートダジュール)を描いた絵が多かった。(パステルカラーの絵が多く、私は心が和んだ。)

★原 孝太郎さんの話では、「パリー祭」はパリの下町のヤングのイベントだったらしい。バカンスになるとパリのハイソサエティ(上流社会)の人たちは、ほとんど地中海の避暑地に行ってしまう。バカンスに行けない下町のヤングにとって7月15日のパリー祭は大切だった。ダンスパーティーに参加出来るのは、男性は18才以上、女性は16才以上と決められている。つまり彼らとってパリー祭ダンスパーティーは「社交界デビュー」のチャンスだったのだ。

★男性も女性もこの日のために、一所懸命ダンスの練習をした。日ごろ想いを寄せている女性にダンスを申し込んでも、もし下手だったら1~2曲でサヨナラされて、他の男性に彼女を取られてしまう。(これは女性も同じだった)「巴里祭」と言うフランスの映画では、このような「ロマンス」が描かれていた。(パリの下町の街角では、きっと沢山のロマンスが花開いたのだろう!)

★もしも私が柏の天国に行ったら、7月15日には「柏のパリー祭」をやろうと思う。たぶん柏にもパリの好きな仏さまが沢山いる。若い頃シャンソンに親しんだ仏さま、新婚旅行でパリに楽しい思い出のある仏さま、転勤でパリに派遣されパリの女性に何か思い出のある仏さま、ホテルのコックの修行中、本場のパリ料理を味わいに行った仏さま、ワイン大好きで、パリの街中のワインを飲み歩いた仏さま、みんな「パリ大好き仏さま」である。

★天国の市役所の掲示板に「皆さんの思いを込めた<柏のパリー祭>をやりませんか? 会場は天国の柏市役所前広場、7月15日、日暮れごろスタート、当日は特別ゲストとして<芦野宏さんのパリー祭シャンソンの夕べ>を開催予定です。日曜朝市のように、皆さんドリンク、オツマミを持ち寄って、パリー祭パーティーをやりませんか?」

★芦野さんは渋川から「ボランティア馬車」を乗り継いで、1泊2日もかかって柏に来てくれる。娯楽の少ない柏の天国ではビックイベントだ。当日はアンコール、アンコールの連続で、コンサートが終わるのは10時過ぎだろう。

★天国にはホテルが無いので、芦野さんは我が家にお泊めする。何もありませんが、我が家の裏庭のホウレンソウとタマゴのバター炒め、柏特産のチンゲン菜とネギと鶏肉の野菜炒め、銚子から取り寄せたイカ刺し、ドリンクはお隣のオジサンの日本酒の冷酒とブドー酒、ホステスは、「井の頭公園のシンデレラ」がユカタ姿でおもてなしします。

★先生、今晩はユックリやって下さい。もし気分が乗ったら私の大好きな「枯葉」を唄ってくれませんか。(私にとってそれは「最高のパリー祭」です!)

(おとな愉快団! ピータロー

※<芦野宏さんのパリー祭シャンソンの夕べ>はエッセイの創作上のもので、実際に開催されるわけではありません。ご了承ください。

2006年10月24日

連載エッセイ<天国よいとこ 7>

天国に行く前に老人ホームで囲碁を楽しみたい

★私にはHさんと言う20年以上のオツキアイの囲碁仲間がる。同い年だが、同級生でも、一緒に仕事をした仲間でもない。先輩の紹介で囲碁大会で知り合ったのだが今では私の理解者「ベスト3」の一人だ。(これからも長いつきあいになると思う)

★Hさんは中小企業の経理マンだったがとにかく自分の仕事をラクにしようと言う発想で40年前からパソコンを研究して仕事に取り入れた(最近10年ぐらい前から「IT時代」と言われるが、Hさんははるか昔から研究していたのだ!)。

★そのせいかHさんはコンピューター部長になり、停年まで楽しく仕事をした。一方、その会社の囲碁クラブの責任者を30年以上やって、多くの囲碁仲間を育てた。私はカレの囲碁クラブに入れてもらったお返しに、柏のテニスクラブにカレを入れた。今では趣味が2つとも合うのでカレと飲んでいると、話は尽きない。

★私は囲碁が大好きだが、実力は25才のときと67才の現在、ほとんど同じ初段、つまり40年間何も進歩していない。(楽しんでばかりいて、何も勉強しなかったからである)その時、その時のプロ棋士のマネもしてみた。(カミソリの坂田、大竹美学など)しかし何をやってもレベルアップしなかった。どうせどんな打ち方をしても結果は同じだ。どうせやるなら「楽しい」打ち方をしよう! それで、最近10年間は「武宮宇宙流」だ。(教科書は少ないし、勝率も悪いが、とにかく楽しい)

★私は弟とも囲碁をやる。若い頃同じ下宿だったので私が教えたのだが、今では弟の方が実力は上だ。法事や、病気見舞いで一緒になると帰り道には必ず「一局やろうか?」となる。お互い定年退職者、同じ趣味があって良かった!

★先日プロ棋士の小林千寿5段に指導碁を打っていただいた。なにせTVに出ている年齢不明のあやしい雰囲気の先生、幻惑されてしまい思うように打てなかったが、7子のハンデで3目負け、一緒にいたHさんは良くやったとほめてくれた。弟さんの健二7段にも打ってもらったことがある。終わった後カラオケに同行したが、女性にやさしく、とにかく楽しい先生だった。

★私は老後「老人ホーム」の御世話にはなりたくない。(姉が6年も入っているのでよくわかる)しかし、自宅看護では家族に負担がかかるとしたら、入らざるを得ない。その場合、ノートパソコンを持っていこうと思う。ベッドの上でインターネットで碁をやるのだ。歩けなくとも、片手しか使えなくとも碁は打てる。
知り合いの囲碁仲間にも、お見舞いになんか来なくて良いからネットで碁をやろうと頼む。他の老人ホームにパソコンで碁をやる人がいたら、挑戦する。

★私が老人ホームに行ったら、とにかく碁に熱中して、天国へ行くまでの長い時間を、頭をフル回転させながら愉快に過ごしたいと思う。

(おとな愉快団! ピータロー

2006年10月10日

連載エッセイ<天国よいとこ 6>

天国のイタリーネックレスメーカーのオーナー

★私は時計会社のジュエリー部門にいたころ、ヤングに人気のあるファッションデパートのバイヤーを連れてイタリーにネックレスの買い付け旅行に何度か行った。その時私が出会ったネックレスメーカーのオーナーがクレマスコである。カレはイタリー北部のバッサノという田舎町の農家の長男だったが、ミラノの大学でコンピューターを学びネックレス工場で修業をして、30才の若さで郷里のバッサノにネックレス工場を作った。

★イタリーはネックレスのメッカで世界中から注文が来る。しかし多くのメーカーは大口の注文がくると、先に受付した小口注は後回しにしてしまう。(だから納期を守らないと評判が悪い)。しかしクレマスコはコンピューターを生かして小口注文にもキチンと納期を守った。特に納期にうるさいアメリカのジュエリーショップはクレマスコのやり方を信用して取引が多くなりイタリーでも「ベスト5」のメーカーに成長した。

★翌年、日本市場開拓のために来日したクレマスコを私は寿司に招待した。日本酒の冷酒をグラスに入れてすすめたら「これはおいしいワインだ」といって何杯もお代わりしていた。

★翌年私が出張したとき、この前のお礼だといってカレの自宅に招待してくれた。自宅と言っても700年前の古城で小高い丘全体がカレの家である。4階建てぐらいの高い時計塔がある。大広間は大理石が敷きつめてあり、すばらしいシャンデリアがあった。(昔、貴族のお姫様を集めて舞踏会をやったのだろう!)

★その夜のパーティーで、私は持参したウクレレを弾きながらイタリー語で「昴(スバル)」を唄った。<イタリーで貴方が見るスバルも、日本で私が見るスバルも同じ星です。二人は同じジュエリーの世界で働く仲間、何か悩むことがあったら、スバルを見ながらこの歌を唄いませんか?>(私が勝手に作った歌詞)その夜の出席者はクレマスコの家族や友人だけで、イタリー語しか解らない人がほとんどだったので、みんな喜んでくれた。

★クレマスコの4人の娘さんには、私のムスメが盆踊りに着た「ユカタと帯」をプレゼントした。さっそく着替えて、はしゃいでいた。オクサンのアンナは自慢のペペロンチーノをご馳走してくれた。私はそれまで、あまりスパゲティを食べたことが無かったが、これは美味しかった。パーティーの最後には大広間でダンスパーティー、アンナは私とワルツを踊ってくれた。言葉は通じなかったが(私はイタリー語は全然しゃべれない。)楽しかった。

★クレマスコはファミリーや仲間を大切にする人だから良い後継者が育っているし、アメリカのお得意先も安定しているので、彼が天国へ行っても、ネックレス工場は何の心配も要らないだろう。

★カレはバッサノの天国へいったら、アンナとレストランをやるのではないか?バッサノは田舎なのであまりおいしいレストランが無い。そこでクレマスコは農家を買い取って中世風に改造してレストランを作る。天国では彼はもうネックレスの仕事はしなくていいので、、バーテンでもやりながら仲間の仏さまたちと楽しくやるに違いない。休日にはバッサノはアルプスに近いので、1日中、大好きなスキーを楽しむと思う。

★柏の天国からバッサノの天国はとてつもなく遠いが、何十年に1度、市役所の主催で「イタリーツアー」があるらしい。(抽選で20名)もし私が当選したら、「キント雲特急」に乗って、またクレマスコに会いたいな! ワインを飲みながら、二人で「昴(スバル)」を唄いたいな!

(おとな愉快団! ピータロー

2006年09月26日

連載エッセイ<天国よいとこ 5>

天国の鈴虫オーケストラ

★我が家の庭で鈴虫が鳴き出した。松虫が参加する。コオロギも鳴き出した。「秋の虫トリオ」のコンサートが始まった。何を訴えているのか? 「今晩は」の挨拶なのか?「お腹が空いた」と言っているのか? とくに鈴虫が激しく鳴く。もしかして、近くに彼女がいて「I LOVE YOU」と口説いているのかも知れない。どの声も同じように聞こえてしまうのは私の耳が悪いのか?

★鈴虫の生き方はナチュラルだ。お腹が空いたら葉っぱを食べる。昼間は葉っぱの蔭で昼寝、お腹にガスがたまったらオナラをする。夜になり鳴きたくなったら鳴く。冬、寒くなってくると、落ち葉の中にもぐり、眠りながら息を引き取る。死んでも、お経も、お墓も、戒名も無い。

★鈴虫にはオジイサンもオバアサンもいない。一生がわずか数ヶ月なので、年を取っているヒマが無いのだ。生まれて数日のうちに成人して大人になる。恋が始まる。女性の鈴虫は最初のうちは男性の「I LOVE YOU」を軽く聞き流す。(もっと誠意のある男性が現れるかもしれない)近寄ってきた男性の中で、最も良い声で、最も熱心に口説いてくれた鈴虫と結婚してコドモを産む。鈴虫の世界には幼稚園も小学校も無い。放っておいても、コドモはすぐ成長する。美しいムスメになると、松虫クンやコオロギクンがモーションをかけてくるが、見向きもしない。(あんな人と結婚しても良い子は生まれない!)

★鈴虫は天国に行けるのだろうか?(もちろん全員OK!)特に柏の天国には、利根川の川べりに広い田圃があり、そこが鈴虫の天国である。鈴虫の仏さまが沢山いる。川べりは静かなので鈴虫の声がよく響く。

★まず1匹がオーケストラの第1バイオリンのように鳴き出すと、すぐ第2バイオリンが追いかける。ビオラもチェロもコントラバスも一緒に鳴く。曲目は「名月」だ。シンフォニーは夜遅くまで続く。明日の晩も、明後日の晩も、とにかく気が済むまでやっている。

★鈴虫たちはなぜ鳴くのだろうか? 鈴虫の一生は、生まれて、恋をして、コドモを産んで、やがて死ぬ。きわめてシンプルで、ストレートだ。人間のように住宅ローンで何十年も苦しんだり、コドモの教育費のために家計を切りつめたりしない。「なぜ鳴くの?」「鳴きたいから、鳴いているのさ!」

★人間は天国へ来ても、いまだに下界のことが忘れられないで、いろいろ悩んでいる。鈴虫の仏さまから見ると人間の仏さまは、単純なことを難しく考えすぎているように思う。鈴虫は天国に来ても下界でやっていたように、同じ一生を繰り返すだけだ。鈴虫はみんなそうだ、生き方に迷いが無い。

★「鈴虫オーケストラ」を聞いていると、私は、反省させられることが多い。

(おとな愉快団! ピータロー

2006年09月12日

連載エッセイ<天国よいとこ 4>

天国の立花大亀先生(お茶と禅)

★私は青春時代、労組活動にはまって役員をやったり、安保デモに参加したりしていた。宗教にはぜんぜん関心が無かった。仏教、キリスト教、どれもキライで晩年まで「無宗教」だった。

★53才の時「マドギワ族」になった。子会社に出向となり、もうお前には何も期待していない。給料は20%ダウン、昇級、昇格無し、つまり停年までどんなに努力しても、会社から認められることは無くなってしまった。こんなことは女房や友人に話しても解ってもらえない。暗い気持の毎日だった。

★そんな私に、あるお茶の先生がお茶の体験入学をやってくれた。私はお茶に興味を持った。そしてもっとお茶を深く知るには禅の勉強が必要だと思い、立花大亀先生の「利休に帰れ―いま茶の心を問う」を読んだ。

★先生は1899年生れ、わずか44才で京都の名門大徳寺の宗務総長に選ばれたのだから、僧侶としても立派な方だと思う。83才から花園大学(京都の名門仏教大学)の学長。一方、主婦の友社の依頼でお茶と禅の全国セミナーを長年開催。104才までお茶と禅の人生を楽しまれた。

★私が一番共感を覚えたのは「ネコの死に方」、ネコは死期が近づくと飼い主の家からフラッといなくなり、どこかの草むらで眠るように息を引き取る。やがて落ち葉がかぶさり、ネコの死体は自然に土になる。ネコも人間も元をたどればアメーバ、死んだら土に還るのが自然だ。

★老年期に入った私は、自分が健康だった時に比べて「歯が抜けておいしい物が食べられない」「忘れっぽくなった」「ときどきオネショする」「いずれ老人ホームに入ったら流動食」等とついグチをこぼす。

★もし先生にそんなグチをこぼしたら、「ピータローさん、まだまだ修業不足! 自分が『赤ん坊』だったころを思い出してごらん。歯はあったかな? 忘れるも何も赤ちゃんは何も知識がない。オネショ? 赤ちゃんだったら当たり前だろ! 流動食? 赤ちゃんはみんな流動食だ。要するに人間は死ぬとき少しずつ赤ちゃんに戻るのだ。それが自然なのだ。そしていつかネコと同じように、土に還るのだ。」

★「ところでピータさん、あんたは天国に来てもまだチョロチョロしてるね。私は下界では長生きしたほうだが、天国の暮らしはもっともっと長い! たまには私の家に来て花でも眺めながらお茶を飲んだらどうかね? そうすればこれまで見えなかった世界がもっとハッキリしてくるかもしれない。」

★私は自分の死について、お茶の勉強のお陰で気持が落ち着いたように思った。そんな発想でお茶の世界を考えていたのだ。お茶の世界はもっともっと奥が深いものらしい。なぜなら立花先生は下界で90年以上お茶の修業をされていたのに、天国へ来て「イチから勉強のし直し」をされるという。

★私はまだ、立花先生のお茶会に招いていただくような資格は無い。でも先生、これから長い「天国生活」どうかよろしくご指導お願いいたします。

(おとな愉快団! ピータロー)

2006年08月29日

連載エッセイ<天国よいとこ 3>

天国はこんなところ

★私は停年直前まで何とか会社に残れないか関連会社でもよいから何か仕事が出来ないか、そんなキモチでいたのでいざ停年を迎えたとき心の準備が何も出来ていなかった。とりあえず今後のことはユックリ考えよう! そんなつもりだったが、毎日が日曜日になってみるとコドモたちから「今日は何していたの?」と言われるのが何よりつらかった。実際には、一日中TVを見ながら、酒を飲んでいたのだ。

★私は平凡なサラリーマンなので、死んだら社会から忘れられてしまうと思う。しかし、平凡と言われるが、私なりに人生にはいろいろあった。何かの形で残しておきたい。そんなつもりで、このエッセイを書きはじめた。「天国はどんなところ?」それは誰にもわからない。だとすれば自由に想像してもよいわけだ。私は何となく第2次大戦前の暮らしのほうが気楽でのんびりしていたように思う。小学5年まで新潟の山奥で育ったので自給自足は当たり前、クルマもTVもデパートもスーパーも無かった。どうせだったらそんな天国に行きたいな!

★現実の柏駅前は駅ビル、デパート、スーパーが密集、昔からの商店街やレストラン、飲み屋も多い。公団の団地も多い。しかし戦前は駅前には駅ビルもデパートもスーパーも無い。コンクリートの建物は何も無かった。商店も民家もすべて木造平屋建て、農家はほとんど茅葺き、当時の国道は馬車がすれ違い出来る道幅で舗装はない。信号も無かった。

★天国にはクルマが無い。電車も、新幹線も、飛行機も無い。天国では、ほとんど自転車か馬車の生活だ。柏は海から遠いのでサカナが手に入りにくい。どうしてもサカナが欲しい仏さまは、銚子まで自転車で行く。

★お米や野菜が欲しければ、農家に行って、田植え、草取り、稲刈りを手伝って、働きに応じてお米や野菜を分けてもらう。下界で「メシ、フロ、ネル」の毎日で、自分のことは自分でやる習慣がついていなかった人はブツブツ言うかもしれない。しかし、多くの仏さまはこんな天国の暮らしにいつのまにか慣れてしまう。(こんな暮らしも悪くないな!)

★お隣のオジサンは93才、利根川べりで農家をしていた。地元の老人クラブの会長を23年間つとめた人格者だ。私が現在の家に引っ越した翌日「今晩家に来いや、イッパイやるべえ」と誘ってくれた。新しい土地で、誰も知り合いのいない私はすごく嬉しかった。

★私は5才の時父親が死んだのでオヤジと飲んだことがない。オジサンと飲んでいると自分のオヤジと飲んでいるような気分になる。オジサンはたぶん私より早く天国へ行く。私が後から天国に行ったらオジサンの隣の市営住宅に入れてもらおうと思う。オジサンも、きっと、喜ぶと思う。

(おとな愉快団! ピータロー)

2006年08月17日

連載エッセイ<天国よいとこ 2>

井の頭公園のシンデレラが天国に行ったら?

★”私のシンデレラ”(永遠の恋人)Tさんは定時制高校時代の同級生文学部の仲間だった。彼女の実家が井の頭公園の近くだったので、よく公園でデートした。当時私がヘタな詩や小説を書き上げると、真っ先に読んでくれるのはTさんだった。読んでくれる人がいると思うと、私は張り切って書いた。私がショパンや、チャイコフスキーが好きになったのも、彼女の影響だ。

★私が30代になって大阪へ転勤になったころ、Tさんと丹波の立杭焼の窯元に行った。(彼女は1度目の結婚をしていた)彼女はそのころお茶の勉強をしていたので、私に陶器の見方を教えてくれた。(私がお茶に興味を持ったのはこのころである。)

★Tさんはコドモに恵まれなかった。(お茶がコドモみたいなものか?)退職金をつぎ込んでヤキモノの店を開いたが成功しなかった。Tさんはその後井の頭公園の近くにお茶の教室を開いた。(やはり彼女は”井の頭公園のシンデレラ”なのだ!)彼女はこの公園が好きで一生離れられないみたいだ。実際、彼女は、公園の近くに60年以上も住んでいる)

★いろいろあったが、私は彼女には何でも話せる。(彼女はいつもやさしく聞いてくれる)知り合ってもう50年以上、お互い年はとったが私から見るとTさんはいつまでも”私のシンデレラ”同世代の女性の中では、とびきり、美しいと思う!チャーミングで、上品で、美しい声だ。

---------------------------------------------------------------

★Tさんはたぶん井の頭の天国に行くと思う。(彼女のダンナがそう望むだろうから)それはしょうがないことだ。柏の天国から井の頭は遠いがボランティア郵便馬車に載せてもらえれば何とか行ける。シンデレラさん井の頭公園にサクラが咲くころ貴方のお茶室に私を呼んで欲しいな!Tさんはお酒が入るとチョットおしゃべりになる。でもそれが楽しいのだ。

★皆さんも下界で”ホンキで愛したけれど下界では結ばれなかった自分のシンデレラがいたら、あきらめないで!天国でまた、巡り会えるかも知れませんよ!

(おとな愉快団! ピータロー)

2006年07月28日

連載エッセイ<天国よいとこ 1>

天国では男性向けお料理教室が大盛況

★皆さん誰でも天国へ行く時は独身に戻る。天国には婚姻が無い。仮に好きな人が出来て結婚しようとしても、もう子供が出来るわけではない。マイホームも退職金も株も年金も天国には持って来れない。だから男性の仏さまは誰も「一生面倒を見るから俺と結婚」とは言えないのである。

★女の仏様は元のダンナから淋しいから又一緒に住んでくれないかと言われれば、最初のうちは来るが、天国では女性にも単身住宅が貰える。そして女性も農家の手伝いをして自分の食べる食料を分けて貰えるようになると変わってくる。ダンナに対して、時々は私の家に泊まりに来てもいいけど毎日朝、昼、晩の御世話は勘弁して、私を自由にして! と言って自分の家に帰ってしまう例が多い。

★私が天国に行ったら困ってしまう。天国にはコンビニもスーパーも無い。インスタント食品もない。誰も知人のいない寒村にウバステ山の老人のように捨てられたと同じだ。私が天国に行ったら何とか生きて行くために、まずお料理幼稚園に入学して料理を覚えなければ天国では生きてゆけない。お料理教室が盛んになるわけだ。

★天国の女性の仏さまに人気のある男性はまず農家の人それと漁師だ。とにかく農家の男性と同棲すれば、食べるものの心配はほとんど要らない。農家の男性は都市のサラリーマンのように食べ物についてグチャグチャ言わない。おいしい漬物と、ミソ汁と何かおツマミがあればゴキゲンである。

★サカナの好きな女性は海に近い天国へ行って、漁師と同棲すればよい。漁師も二人で食べるぶんだけ取ればよいので気楽なもんだ。
(おとな愉快団! ピータロー)

団員連載エッセイが始まります!

今回から、連載エッセイ<天国よいとこ>が始まります。

おとな愉快団!団員のピータローさんが、退職後、自分の人生を振り返り「もし天国に行ったら、もっと自由に、もっとナチュラルな暮らし方をしたいな!」という気持で書かれたエッセイです。

ピータローさんの描き出す「天国」は、下界とはちょっと違ったナチュラルで自由な暮らしがある世界。

こんな「天国」があるのかと想像すると、下界の生活も違って見えてくるかもしれません。

(おとな愉快団!スタッフ さやか)